最期の日のこと

いつもの朝

 2022年7月1日。
 この日もいつも通りに始まった。

 朝5時半頃に起床し,まずリビングのカーテンを開けた。すると朝日が丁度ベリーのケージのあたりに差し込む。
 私はすぐに「ベリーちゃんおはよう」と言いながらベリーのケージを覆っている黄色いお休み用の覆い布を取り,素早くそれを畳んで仕舞い込む。ベリーはいつものように上の止まり木の左端にいて,上ったばかりの太陽から差し込む黄色い光を浴びていた。
 いつもと同じ朝の光景だった。前日や前々日の出来事と混同されてもおかしくない繰り返されてきた日常の場面だというのに,その朝のベリーの様子,上の止まり木の左端で朝日を浴びるベリーの姿は,何故か不思議ととてもしっかり私の脳裏に刻まれた。

日の出(2022-07-01 04:33)
最後の日の出(2022-07-01 04:33)

 有名なヨウムのアレックス。
 ベリーを迎えるきっかけにもなったヨウムのアレックスが,ある朝突然亡くなっていたということを知っていたので,毎朝ケージからお休み用の布を取り去る瞬間,いつも通りのベリーである事を祈りながら私は少しだけ緊張するのが常だった。

アレックスと私 (ハヤカワ文庫NF)


 あぁ今日もベリーは元気。いつも通りだ。


 ベリーの様子がいつも通りである事に安堵し,私はベリーのケージの下にある棚から体重計に使っている白い秤を取り出し床に置く。

 まだ上の止まり木でのんびりしているベリーを私は素早く掴んで止まり木から引き剥がし,体重計の上に乗せた。毎朝のことでベリーはよく心得ているが,必ず一声「ギャー」と言って鷲づかみにされたことに抗議する。
 この朝も,もちろんベリーは「ギャー」と一声文句を言い,しかしながら体重計が安定して測定が完了するまで秤の上で大人しくじっとしていてくれた。
 いつ頃からだろうか,ベリーは体重測定の間はじっとしていなければならないことをきちんと理解し,測定に協力してくれるようになっていた。

 97g。昨日と同じ。
 ベリーはオカメインコとしては大柄なので適正体重だが,年を取って太りやすくなっていたので96gが目標だった。
 もう1g軽くなってくれたら粟穂をあげるのに,残念ねベリー。

 心の中でそう思い,ベリーのお腹の下に手を入れる。
 ベリーは迷わず私の手に乗って,ケージの上の棚の上に移動させられ,そこで私が彼の朝ご飯の準備をするのを待っていた。これもいつもと同じ朝のルーティーン。
 私が朝一番の食事をケージに入れると,ベリーはのそのそとケージに帰り食べ始めた。
 太らないために毎日決まった量のご飯しかもらえないベリーは,朝は十分にお腹を空かせていて,朝ご飯を楽しみにしていた。

 ベリーは朝食を食べ終わると一旦ケージの外へ出て,お気に入りの場所で好きなだけまったりと居眠りや毛繕いをし,その後,自らケージに帰って行く。
 何時間も外にいて寛いでいる日もあれば,さっさと帰ってケージで寛ぐ日もある。
 この日は外にもう一度出たものの,ちょっと木箱を囓っただけで,いつもより早めにさっさとケージに帰ってしまった。


 ベリーが朝食を済ませ朝の毛繕いなどをしている頃,私は自分の朝食の支度や朝の家事で忙しく,しばらくベリーにかまっている暇が無い。この日もそうだった。私が忙しく家の中を動き回っている間,ベリーはずっとケージの中で大人しく過ごしていた。

 8時半すぎにNintendo Switchを起動してFit Boxing 2で朝の運動を始めたが,その時ふとベリーが気になってケージを振り返ると,上の止まり木の真ん中でじっとしている姿が目に入った。
 「ベリーちゃん何してるの?」といつものように声をかけてみたが,ベリーは黙ったままじっとしていた。


突然の発作

 運動を終え,幾つかの細かい家事を済ませ,私がベリーのケージから1mと離れていないPCデスクに座ったのは,おそらく朝9時10分かそこいらだったと思う。
 モニターに向かいカタカタとキーボードを叩いていると,パシパシとベリーがくしゃみをする音が聞こえてきた。「ベリちゃん大丈夫?」くしゃみをするベリーにこう言って声を掛けたのもいつも通りだ。2017年秋に肺炎を患って以来,私はベリーの咳やくしゃみに敏感になっていた。
 ベリーは毛繕いをしている。くしゃみはそのせいだろう,問題ない。それが恐らく9時20分くらいだった。

 いつもとは違う,尋常ならぬ呼吸音を聞いたのはそれから20分ほど経った9時40分くらいのことだった。
 いつものパシパシというくしゃみでもなければ,肺炎で苦しんでいた頃の咳とも違う。一瞬でやばい状況だと思わされる,何か悪い物を出そうとしているような音だった。こんなベリーを見たのは初めてだった。

 私は椅子から飛び上がるように立ち上がり,ベリーの前に移動した。ベリーは上の止まり木の左端,朝起こしたときにいた場所で,肩で息をしながら苦しそうに喘いでいる。
 「ベリー? ベリちゃんどうしたの? ベリー?ベリー?大丈夫?」
 心配のあまり自分の脈がどんどん上がっていくのを感じながら私はベリーに声をかけ続けた。

 9時45分,夫のリモート会議が終わった。
 即座に私は「ベリーが変!」と声をかけた。「どう変なの?」「見ればわかる!」
 そういう会話をし,夫はすぐにベリーの前にやってきた。
 二人でベリーに「ベリー大丈夫?ベリー頑張れ!」と声をかけ続けたが,ベリーは一層苦しそうにするだけで,発作は治まりそうにない。

 これはすぐに病院に連れて行くべきでは。私はおろおろとそう言い,夫はそれも含めて病院に電話して聞いてみるのが良いと言う。確かに今のこの状況ではベリーを動かすこともままならない。私は動転のあまり電話で筋の通った話をする自信がなかったため,夫に電話してくれるよう頼んだ。

 だが,不幸なことに病院はずっと話し中。何回かけても話し中。
 連れて行くにしても予約をしなければならないので,電話が繋がらないことには話にならない。

 ベリーは苦しそうな息をしながら突然食べ物を戻した。
 ベリーが吐いたのを見たのは初めてだった。まるっきり消化されていないシードが,ねばねばの透明な液に包まれてケージに飛び散った。でも,もしこれが原因ならこれで少し楽になってはくれないだろうか?
 しかし,ベリーはケージの左端から右端へ移動し,更に苦しそうに息をしている。苦しい原因をもっと吐いてしまえば楽になるのではないか? ベリー頑張って。ベリー何とか吐き出して!? 病院で先生に見せるためにその場で少しベリーの動画を撮った。
 結果的にその動画が役に立つことはなく,それが動くベリーの姿を残した最後の記録になった。可愛そうすぎて悲しすぎて,まだ一度も再生していない。
 止まり木の右端へ移動したベリーは,今度はほとんど水だけのフンをした。あぁ下痢だ。消化器系にトラブルが?!

 病院には何度か電話するがずっと話し中。
 病院に連絡がついたらすぐに出発できるよう,私はキャリングケージを準備したり着替えたりしながら何度も電話をする。

 止まり木に留まっているのが大変なのではということに気づき,ベリーをケージの下に敷いてある新聞紙に下ろしてあげることにした。
 私がベリーの前に手を差し出すと,ベリーは何度か私の手に乗ろうと試みたが諦めた。もう自力で私の手に移動する力がなくなっていたのだ。飛び回って体力が無くなって苦しい時によく見せていた切ない表情を浮かべ,私の目を見つめたベリー。ベリーと最後に見つめ合ったその時の彼の表情を忘れることができない。

 私はベリーを優しく掌で包み込んで,下の新聞紙の上に下ろしてやった。
 何かを吐きそうにする激しい動作は少し治まったようだが,ベリーはそこで座り込んで苦しそうに息をしている。
 そのうちに頭を持ち上げていることも辛くなったらしく,とうとう突っ伏して頭を下につけて息をし始めた。恐ろしい光景だった。

 そして,10時25分,ようやく病院に電話が繋がった。
 発作が始まって45分が経過していた。

 容態を話すとすぐに連れてくるように言ってもらえたため,私は準備していたキャリングケースにベリーを入れ,ベリーの吐出物と梯子についていた最後から2番目のフンを参考用にラップに包んだ。
 キャリングケースに入れるためにベリーを掌で包むとベリーは弱々しく少しだけ抵抗し,抗議の意を示した。まだそんな力があるのかと少しだけほっとしたことを覚えている。

 家を出るとき玄関まで見送りに来た夫がキャリングケースの中に手を入れ,ベリーをそっと撫で,「ベリーの体力を信じよう」と言った。
 あぁそうだ,ベリーはいつもあんなに元気だったじゃないか。大きくて体力があるオカメインコだったはずではないか。ベリーを信じよう。ベリーを信じよう。ベリーの体力を信じよう!

 小鳥病院へ向かって家を出た私は,まるで悪夢の中を泳いでいるような気持ちだった。空が明るい。でも熱波のような暑い7月の空気も感じられない。何が起こっているのか分かっているようで分かっていない。分からなければならないのに分かりたくない。
 でもベリーを連れて事故に遭ったりしてはいけない。気を確かに頑張らなければ。

 「ベリーの体力を信じよう!」と心の中で繰り返し,駅へ向かった。


小鳥病院

 地下鉄に乗ったのは10時44分頃。発作の始まりから約1時間が過ぎていた。

 別の路線に乗り換えようやく座ることができ,「ベリーもう少しだからね」「ベリー大丈夫?」小声でベリーに声をかける。もちろん返事はない。
 小鳥病院の最寄り駅までもう少しだ。

 私は心配でたまらず,キャリングケースの上に乗せたタオルをめくってみた。
 じっとしているベリーの背中が見えるだけだ。

 キャリングケースを入れた洗濯ネットのジッパーを少しだけ開き,ベリーの背中をそっと撫でてみた。
 ベリーが少しだけ動いて反応してくれた。
 あぁまだ生きている!

 それから1分くらいしてからだっただろうか。下車すべき駅に着く少し前だった。膝の上のキャリングケースから振動が伝わってきた。ベリーがブルブルッと2回ほど震えたのがわかった。
 あぁまだ生きている! ベリーもう少し,もう少しで先生に診てもらえるから!

 小鳥病院の最寄り駅に着いたのが11時5分。
 病院は駅の出口から1分ほどのところにある。

 駅のコンコースを歩きながら,私は人目も気にせずベリーに声をかけ続けた。
 「ベリちゃん!もう少しだからね。ベリちゃん頑張って!ベリっちゃん!ベリー!ベリー!ベリー!」


 病院に到着し,待っていた受付の女性にベリーを預けた。
 彼女はベリーを連れて行くと,受付に戻ってベリーの引き取り時刻を診察券に書いてくれた。そうか,今日ベリーを連れて帰れるんだ。よかった。少しだけホッとした。
 だが帰ろうとすると,先生からお話があるのでもう少し待っていて下さいと言われ,そのまま病院の待合室で待っていると,ベリーの主治医さんが現れた。彼女は4年前に東京に戻ってきて以来ずっとベリーを診て下さっているとても信頼できるお医者様だ。ベリーも彼女のことが大好きで,病院に行って先生に会えると,いつもしばらく上機嫌だった。

 先生の最初の一言はどんな言葉だっただろう。

 思い出せない。
 亡くなっていました,だっただろうか? まるで自分の心臓が止まって世界の全てが色を失い音という音も消え果てたかのような,非現実的な瞬間だった。
 たぶん理解を拒んだような顔をして固まっている私に,先生は続けて仰った。
 「息もしていないし心臓も動いていない。もうできることがありません。」と。

 あれはたった30分前だった。ベリーがケージの中の新聞紙の上に突っ伏していたのは。
 その恐ろしい状況を見て,最悪の可能性を考えなかったわけではない。かなり絶望的な状況に見えたはずだ。いや,だが考える余裕もなかっただろうか?
 でも,ついさっき,電車の中でブルブルって震えていた,ついさっきのことだ。ついさっきまでちゃんと生きてたじゃない?

 ありえない。だって2時間前は元気に普通に毛繕いしていたのに?
 ベリーともう会えない? そんなことがあるわけないじゃないか!?
 無理,無理,無理! そんなの信じられない!

 思わず私は言ってしまった。
 「今朝まで普通に元気にしていたのに。」
 「もう会えないんですね…。」

 そんなことを先生に言っても何にもならない。先生を困らせるだけだ。わかっているのに。

 お忙しい先生の時間を頂いてしまっては申し訳ないと思いつつ,私は何が何だか,何をどう考え行動したら良いのか分からず,先生に尋ねた。「原因は分からないですか? 今朝まで本当に元気だったのです」

 先生は色々と尋ねて下さった。
 金属片を食べた可能性は?エアコンの掃除をしませんでしたか?新しい調理器具を使ったりは?
 他に何があっただろう。次々と可能性がありそうなことを聞いて下さったが一つも該当することはなかった。当日も前日も前々日もごくごく普通の一日で,特別なことは何一つしていない。この日は特にベリーはほぼずっと安全なケージの中にいて,何かを誤食する機会などなかった。

 先生と話をしているうちに私の膝から力が抜けていき,立っているのが難しくなった。全身が事実を拒否していて制御が難しい。先生に断って座らせていただき話を続けた。

 私が持っていったベリーのフンは,ちゃんと食べている時のフンだったそうだ。
 食べ物を吐き出そうとして詰まらせた可能性もあるが,そうだったかどうか分からないとのこと。もしそうだったとして,間に合っていたら治療できたのでしょうか?と尋ねてみた。その場合はすぐに吸引するけれど,なかなか出てきてくれないのだそうだ。
 ちなみに電話がなかなか繋がらなかったのは,7月1日は9月のペットホテルの予約開始日で電話が多かったことが原因らしい。


 私がせめて原因を知りたそうだったため,先生は「もしレントゲンを撮れば金属片を飲み込んだかどうかは分かりますが,どうしますか?」と聞いて下さった。
 だが,死んでしまったベリーにそんなことをして意味があるのだろうか? 原因がわかっても二度と再びベリーには会えないのだ。そう思いつつも私は何も決心ができず,先生に「電話で家族に相談してもいいですか?」と尋ねた。
 先生は,今までも愛鳥を亡くして悲嘆に暮れる飼い主を相手に数え切れない辛い時間を過ごしてこられたはずで,ゆっくり相談して下さいと席を外された。

 電話に出た夫にまず何と声をかけたらいいのか,私はまるで考えていなかった。
 ベリーが逝ってしまったことを何と伝えたら良いのだろう!? だが黙り続けているわけにはいかない。「ベリーダメだった」たぶん,しばらくの間の後,そう言ったのだったと思う。夫は「ベリーお疲れ様」と言ったのだったと思う。予想通り,夫はレントゲンを撮る必要はないと答えてくれた。

 先生にそう伝え,ベリーの亡骸をそのまま連れて帰ることにした。ベリーも早くおうちに帰りたいだろう。彼が大好きだったおうちに。
 ペットの葬儀のパンフレットが必要かと聞かれたので,一応いただいておいた。「急だったし,心の整理がつくまで冷蔵庫に入れて一緒にいて大丈夫ですよ。法律も何もありませんから」先生は最後にそう仰って下さり,私は先生と受付の女性にお礼を言って,震える手で靴を履きベリーを連れて病院を出た。

 18歳と9ヶ月,ベリーは逝ってしまった。

 もう二度とこの小鳥病院に来ることもなくなった。
 今までありがとうございました。

 そう思いながら病院の風景を写真に撮った。
 ベリーと過ごした思い出に繋がる大切な風景を。

 小鳥病院を出たのは,記録を見ると11時33分。
 丁度30分前は地下鉄の座席に座って膝の上でベリーがブルブルッと震えるのを感じていた。なのにもう二度と会えない。止まり木の端で苦しそうに私を見つめたベリーの顔を思い浮かべる。あの時は生きていた。私の目を見て辛さを訴えた。ちゃんと生きていたのに?? あり得ない。今朝はあんなに普通に始まったのに? あり得ない!
 悪い夢であってください…。


別れの始まり

 もうベリーはいない。
 二度と会えない。
 私が今抱えているものは,ベリーとの思い出になってしまった亡骸だ。

 機械的に駅へ向かい地下鉄に乗って自宅へ向かっていたが,何もかもが夢の中のように現実味がなかった。心臓がただ早鐘のように鳴り続け,引き裂かれそうに悲しいのに一滴の涙も出ない。あまりに悲しすぎると涙が出ないって聞いたことがあるけれど,本当にそうだったんだ。感情が動くことを拒否し,表情筋が石膏になったように動かなかった。

 ベリーとの別れの日が100%の確率で来ることは勿論知っていた。
 いつかベリーは逝ってしまう。
 そして私より先に逝ってくれなければベリーが不幸だ。
 私は最期の日まで大切に一緒に暮らす決心をしてベリーを迎えたはずだ。

 でも,今日だなんて夢にも思っていなかった。
 昨日までベリーはとても元気だったし,やんちゃに飛び回っていたのだ。
 確かに18歳を超えていたが,ベリーは毛並みも美しく老鳥には見えなかったし,元気で最近は咳をすることもなかった。だから,まだあと2〜3年は十分に普通に楽しく一緒に暮らせると信じ疑っていなかった。来年ベリーの二十歳を祝うのを楽しみにしていた。
 昨日は確かにあったベリーとの楽しい日常が,突然,永遠に消えてしまったのだ。

 簡単に信じられるはずがなかったし,受け入れられる筈がなかった。

 心が泣くことすら拒否して固まっていてくれたおかげで,私は泣き崩れることもなく普通に電車に乗って,乗換駅に辿り着いた。
 そこでとても喉が渇いていることに気がついたが,車両故障で電車がなかなかやってこなかった。早く,早くベリーをおうちに連れて帰りたいのに何故こんな時に。

 現実から逃げ出したかった。逃げる術もないから仕方がなく現実の中にいる。
 ベリーにまつわる大切な記憶だというのに,乗り換えた電車でどう過ごしていたかもまるで思い出せないほど私の心はそこになかった。

 最寄り駅に帰り着いたのは12時24分。小鳥病院に電話が繋がって2時間が経っていた。


現実との対峙

 駅の改札の前で夫が待っていた。今まで見たことも無い悲しい表情で。その顔を見て,私はベリーが逝ってしまったことを現実のことだと認識せざるを得なかった。
 私と夫を包む悲しみ溢れる空気の中で,現実が少しずつ心に浸透していった。これほどの悲しみはベリーの喪失以外でありえない。
 ベリーの亡骸が入ったキャリングケースを夫に手渡し,二人で家に向かった。
 暑い,暑い日だった。

 自宅に帰り着いた。
 「ピヨ」と言って迎えてくれるベリーはもういない。

 まず手を洗ってうがい。
 コロナ禍が始まるずっと前,ベリーを迎えた時からそうしていた。ベリーを守るために外出先から戻ると手洗いとうがいを欠かさないようになったのだった。

 ベリー帰ってきたよ。あなたの大好きなおうちに。

 まず,ベリーの亡骸を,彼が大好きだったケージの中に帰してあげた。
 ケージの下に敷いた新聞紙を新しいものに取り替え,その上に。
 帰ってきたよ。ベリー大変だったね。お疲れ様だったね。おうちだよ。


 現実を受け入れたくない心とは裏腹に体はやらなければならないことをやってくれた。

 ベリーの遺体を冷蔵庫に保管するために適切な大きさの紙袋を捜し,ベリーを入れて冷蔵庫に安置した。 とても暑い日で,急いで施さなければならない処置だった。
 一旦ケージに戻したベリーの体を紙袋に移す時に,ようやく初めてベリーの遺体としっかり対峙した。

 ベリーの亡骸は美しかった。
 苦しんだような表情はなかった。左目をつぶって,右目は少しだけ開いていた。
 右目を閉じてあげようとしたが,動かなかった。
 開いている右目の方から見ると,とても死んでいるとは思えない,いつものベリーに見えた。

 ベリーはお洒落で,いつも毛繕いに余念がなく,毛並みは常にとても美しかった。発作が始まる20分前にも熱心に毛繕いをしていたのだ。
 加えて2日前にしっかりカキカキして冠羽の手入れをし水浴びもさせたところだったので,余分な油脂も除かれており,ベリーの遺体は美しいグレイで艶々で,もう死んでいるなんてとても信じられなかった。まだまだ若々しく,これから何年も生きていてもおかしくない美しさだ。
 だが,頭や背中を撫でるとフワフワなのに,もう温かくない。
 背中を撫でようとすると,いつもてけてけと早足で逃げ回ったのに,ただ撫でられている。

 いつまでもベリーの遺体を撫で続けているわけにはいかないのだ。
 心を無にしてベリーサイズに整えた紙袋に亡骸を入れ,冷蔵庫に安置した。今はこれが精一杯だ。色々考えなければならないけれど,もう少し落ち着いてからにしよう。


ベリーがいない初めての午後

 この日の昼食のことはあまり覚えていない。ベリーの亡骸を冷蔵庫に安置した後に,無理に何か食べたのだったと思う。
 相変わらず涙は1滴も出てこない。悲しいのに,死ぬほど悲しいのに泣くことができない。届かないほど遠いどこかに心が棚上げされていて,泣くという行為にたどりつけなかった。唯ひたすら胸が苦しくて息をするのも苦しくて,心臓がドキドキと壊れそうなほど鳴り続けていた。落ち着いて何かを考えることも難しかった。でも何もせずに座っていることにも耐えられなかった。

片付け

 もうベリーが必要としなくなった小松菜やビタミン水,シードなどをケージから取り出し処分し,食器を洗った。小松菜さん,今日までありがとう。朝に与えたシードは完食されていて殻しか残っていなかった。でも一部は消化されずに吐き出されてしまったのだろう。

 今日のお昼や午後にベリーが食べるはずだった美味しそうなシードももう用済みだ。食べてくれるひとはいない。
 食べられるために育てられ届けられたシード達なのにごめんなさい! そう思いながらベリーの食べ残し入れのごみ箱に流し入れた。

 あぁベリーに食べて欲しかった。食器にシードを入れて貰うのをジタジタと待って美味しそうに食べるベリーを見たかった。こんなことなら昨日粟穂もあげれば良かった。どんなに喜んだだろう? 昨日まであんなに元気に飛び回っていたのに何故いないの? ベリーどこへ行ってしまったの?


後悔

 何を考えても何を後悔してもどうにもならないことが分かっていても,考えて考えて後悔し続けることを止められない。

 もっと必死に何度も病院に電話すれば繋がってベリーが生きているうちに病院に辿り着いて助かったのではないか? 病院へ連れて行く決断を私がもっと早くしていれば助かったのではないか?
 いや,あの発作状態のベリーを動かすのは難しかった。
 たぶん辿り着いても助からなかった可能性が高そうだし,吐いたりして肩で息をしている状態のベリーを動かしては,吐瀉物を喉に詰まらせたりして悪化させたかもしれない。
 ベリーの容態の変化に即刻気がついたし,可能な限り最速で対応したつもりだ…。でもでもでも…。

 ベリーを病院に連れて行ったりして無理に動かすべきでは無かったのではないか? ベリーは大好きな自分のおうちで,私達の顔を見ながら逝きたかったのではないのか? いや,もし病院へ連れて行く努力をしなかったら,そのことについて私は死ぬまで後悔し続けることになっただろう。連れて行けば助かったかもしれないのにと…。

 正解なんて存在しない。ベリーの体に何かの事故が起こったのだ。そしてベリーはそれを乗り越えることができなかった。病院に到着するまで持ち堪える体力もなかった。彼の寿命だったのだ。客観的に見ればそう考えるのが妥当ではないか。でもでもでも…。

 今日は朝からベリーをよく見ていなかった。ベリーがすぐにケージに帰ってしまったからだ。確かにそういう日もあったけれど,もしかしたら朝から元気がなかったのではないか? どんな1日だってベリーと共にいられる限られた貴重な1日だってことを知っていたはずなのに,何故もっと注意してベリーを見ていなかったのだ。
 私は何か大切なシグナルを見逃していたかもしれない! 気づかずに何か大きな失敗をしていたかもしれない! 私さえもっときちんと管理できていたら,ベリーはこんな早くに死なずに済んだかもしれない!

 あぁこんなことならもっと粟穂をあげて喜ばせる日を増やしておけば良かった。あぁ何で昨日と一昨日はベリーの写真を1枚も撮っていないのだろう。できるだけ毎日撮ろうと思ってそうしてきた筈なのに,何故昨日と一昨日に限って撮っていないの。

 限りない後悔の波が押し寄せてくる。
 胸は痛み続け心臓は激しく鼓動し続ける。
 どんなに苦しくても辛くても二度とベリーには会えないというのに。


回想

 ベリーはいつ逝ってしまったのだろう。
 スマホに残った移動の記録を見ながら思い返す。

 地下鉄の座席で私がベリーの背中を撫でた時,少し震えて反応してくれた。
 ベリーはとても賢かったし,キャリングケースに入れられた時にどこへ行くかも分かったはずだ。私が一緒だということも知っていたはずだ。知らない筈がない。
 もしかしたら,私に撫でられて一緒にいることを感じて安心してくれたのだろうか。
 その1分後くらいに膝に伝わってきたベリーがブルブルッと震える振動。もしかしたら,あれがベリーの最期だったのだろうか。私に撫でられて安心して逝ったのだろうか。せめてそうであってほしい。

 最寄り駅に降りたのは午前11時5分。
 だから,あのブルブツッという振動がベリーの最期だとしたら,ベリーがこの世を去ったのはきっとこの少し前くらいだったのだろう。
 2022年7月1日金曜日11時5分。18歳と9ヶ月。

 2003年の秋雛だったベリーと出会ったのは,2003年10月25日だった。
 1年もオカメインコの雛を捜してペットショップを巡っていたが,この日にベリーを見つけ,「この子だ!」と思ったのだ。
 インコの雛を飼うのは初めてで色々準備が必要だったので,店の人に1週間後に迎えに来ると言ってベリーを確保してもらい,11月1日の午前中に迎えに行った。

 1日にやってきて,1日に去って行ったベリー。
 何だか潔くてとてもベリーらしい。
 毎月1日はベリーの日にしよう。


 思い返してみるが,直前までベリーはずっと元気でやんちゃでいつも通りだった。前日も前々日も。
 こんなにも突然逝ってしまうなんて信じられる筈がない。予想できる筈がない。

 6月27日,ベリーが逝く4日前のことだ。
 私が毎日の昼食にナッツを食べることを知っているベリーは,私が食事の準備をして座ると机の上にやってきた。胡桃が欲しいのだ。だが貰えそうにないと悟ると,今度は固まった自分のフンを咥えて再び机の上にやってきた。そして,持ってきたフンを噛み砕き始めた。呆れたことに嫌がらせである。胡桃をくれないなら悪戯しちゃうぞ!というわけだ。
 「ベーリ!ちょっと止めてよ!」私はそう言って,この日は少しばかり胡桃を割って与えた。ベリーは大急ぎで胡桃を置いた場所へ行くと,喜んで大切に丁寧に食べたのだった。


  6月28日,ベリーが逝く3日前。
 この日,私はスキャナーで1日作業をしていた。昼間はきっとあまりベリーにかまってやれなかった。ベリーは比較的おとなしくケージの中にいたと思う。
 朝「ベリーちゃんおはよう」と起こしたあと,ベリーは朝食を終え,私がパソコンの前にいたので,パソコンモニターの上にやってきた。ベリーが近くに来てくれたので,私はベリーの写真を撮った。でもモニターの下にフンをされると困る状態だったので,この写真を撮ったあと,ベリーを横の棚に移動させた。
 結果的に,その時に撮ったこのショットが,元気なベリーの最後の写真になってしまった。

(2022-06-26 06:44)
(2022-06-28 06:44)

 移動させたりせずにここでこのままベリーとの時間を楽しめば良かったなどと思っても後の祭り。何故この日もっと撮らなかったのだろうなどと思っても後の祭りなのだ。
 その後もベリーはお気に入りの場所で寛いだりしていたはずだったのに,日常に埋もれて記憶が無いことが悔やまれる。


 6月29日。2日前。
 いつもと同じに始まったはずだ。いつも通り過ぎて記憶が無い。スキャナーの作業をしてしばらく買い物に出かけた。午後には夫が出張から帰り,冠羽がツンツンして機嫌が悪かったベリーを捕まえて,一緒に強制カキカキをし,その後洗面所で水浴びをさせた。
 カキカキ&洗面所の水浴びのあと,ベリーはいつも少し興奮して大騒ぎする。が,これまたいつも,ケージに釣り下げているピンクの布を揺らしてあげるとそちらに気を取られ,喜んで歌い出す。そしてカキカキと水浴びで興奮したことを忘れてしまう。
 この日も同じだった。布を動かすといつも通り喜んで興奮が収まった。だが,その後の歌がちょっと短かくて「あれ?テンション低い?」という感じだった。
 そしてその後は,カキカキされた後の常のように,大人しく機嫌良く過ごしていた。


 6月30日。まさか翌日ベリーが逝ってしまうなんて夢にも思わなかった前日。
 我が家には二人と一羽の平和な日常があった。

 ベリーはいつも通りやんちゃだった。またもや人間の昼食用の胡桃を欲しがって,この日は食卓の上を旋回飛行。お行儀の悪い行動をしたので追い払われ,胡桃はもらえなかった。

 午後もギャーギャーとぐずってうるさかったので,ベリーが水浴び用に使っているお皿を見せて「ベリー水浴びする?」と聞いてみた。水浴びをしたいときは嬉しそうに返事をするし,興味が無い時は如何にも「興味が無い!」という態度を示してくれるので,ベリーとは確実に意思疎通が成立する。前日水浴びをさせたところだったし,通常なら興味が無い態度をするところだが,何故かこの日のベリーは元気よく「ピヨ!」と言った。「水浴びしたい!」という意思表示だ。「えーほんとに?」と思いつつ水浴び用のお皿に水を入れケージに入れてみた。

 ベリーの飲料水はネクトンS入り。なのでたまには真水が飲みたいのか,ベリーは水浴び用の水をもらうと,必ず最初に一口飲む。時によっては飲むためだけに水浴び用の水を要求することもある。
 今日も飲むだけかなぁと思いつつ見ていると,上の止まり木からいそいそと下りてきたベリーは水を一口飲んだあと,ちゃんとお皿の中に入って水浴びを始めた。2日続けて水浴びするなんて本当に珍しい。すぐ終わるのかなぁ?と思いつつ見ていたが,何度か繰り返し水の中に入り,きちんと水浴びをしていた。水浴びと言っても,ベリーの水浴びは足だけ水の中に入れ,嘴でちょいちょいと水をすくい上げるだけのお上品な水遊びなのだが。
 ベリーが上の止まり木で落ち着いた頃「ベリーちゃんもういい?」と一言尋ね,ベリーが「もう興味ないよ」という顔をしたので水浴びの水をひきあげた。通常ベリーの水浴び用のお皿は洗面所に立てかけて乾かし翌日片付ける。そのお皿は今朝片付けたところだった。

 夜。
 いつものように「ベリーちゃんおやすみしよっか」と声をかけながら,21時過ぎにベリーの前に行った。
 夕刻18時前後におやすみ布をケージの後ろ半分だけ掛け,21時過ぎてから布の前を下ろして完全におやすみさせるというのがここ数年の習慣だった。

 ベリーにおやすみの挨拶をしていると,夫も横にやってきて,たまたまけっこう長い時間二人でベリーの前にいて「ベリーちゃんおやすみ,また明日ね」と話しかけたことを覚えている。ベリーの最後の夜がそんな夜であったことに感謝したい。

 おやすみの挨拶をする時のベリーはだいたい上の止まり木の上にいて,声を掛けられ覗き込まれると,慌てたように止まり木の上を走り回る。そして「ベリーちゃんおやすみ」と言われると,返事をするようにケージの天井からぶら下げられているピンクの布を咥えたり,布を少しだけ頭に乗せたりして嬉しそうにして見せる。機嫌が悪い日は「フッ!」と怒りの息を漏らし「カンッ!」と嘴で止まり木を叩いてアピールすることもある。お陰でせっかく「また明日ね,バイバイ!」と言った後に,「ベリー止めなさい,そんなに首振ったら脳震盪起こすわよ?」とか「フッとかカンとかしなくていいの」と言うことになるのが日常茶飯事だった。
 概ねどんな日でも嬉しさと怒り両方の仕草を見せるので,機嫌が良いのか悪いのかわからないが,おそらく機嫌が良くても威嚇して威厳を保たなければならないのだろうと解釈していた。

 最後のこの夜,何だか名残惜しくて何度か「ベリーちゃんおやすみ」と繰り返し,とうとう最後に「ベリーちゃんおやすみ,また明日ね,バイバイ!」と言ってケージを覆うおやすみ用の布を下ろした。この夜のベリーは比較的大人しく長い間私達と見つめ合っていて,ジェスチャーが少なかった。けれど布を下ろされケージの中が暗くなると,やっぱり一回だけ「フッ」と言い,「カン!」と嘴で止まり木を叩いた。そして私は「どうしてもフッ!とかカン!とかしなくちゃいけないのね」と,いつも通りの会話をした。
 そう,いつも通り,いつも通りの何の変哲も無い幸せな夜だった。


決断

 現実を受け入れるのがどれほど辛くても,ベリーの亡骸をどうするか決めなければならなかった。いつまでも紙袋に入れて冷蔵庫に安置するわけにはいかないし,それはベリーに対して失礼だ。

 小鳥病院からもらってきた2冊のパンフレットには各々様々なサービスが書かれていた。
 お経をあげたり,火葬して骨を帰してくれたり,納骨してくれたり,骨を砕いて小さな容器に入れた御守りのようなものを作ってくれたりと。
 だがどれを見ても「これだ」とは思えなかった。

 ベリーの意識が宿っていた体,あの可愛らしく美しく気高いベリーの体と別れることを考えただけで私は引き裂かれそうに辛く,例え骨になっても別れるのは辛すぎると思えた。
 その一方,骨を持ち帰っても埋めてあげる庭もないし,それは骨であってベリーではないことも分かっていた。

 私が小鳥病院から帰宅する前に,夫が区役所に電話し,区にもペットの火葬を引き受けてくれ,埋葬してくれるシステムがあることも確認してくれていた。
 個々の火葬には対応していないので他の子たちと一緒に火葬ということになり,火葬の現場に立ち合うことはできない。が,きちんと動物霊園に埋葬してもらえるとのことだ。

 ベリーとの別れを受け入れられない私は骨であっても連れて帰りたい気持ちが消えなかったが,骨をずっと手元に置いておいても,いつか自分たちが死んでしまったあと誰かにゴミとして処分されてしまうだろう。
 ベリーの骨がゴミとして処分される将来は回避しなければならない。それくらいなら,今きちんと葬ってあげる選択をすべきだろう。そして,ベリーが亡くなってしまった以上,その日を引き延ばすべきではないだろう。

 話し合った結果,私達は,翌日ベリーの亡骸を区のペット火葬システムで見送ることに決めた。


日常は奇跡

 ベリーの亡骸を冷蔵庫に保管し,ベリーに食べて貰えなくなった餌や水を片付け,必死でここ数日のこと,今朝からのことを繰り返し繰り返し思い返してみても,私はベリーがいなくなったことを実感することができなかった。涙も出てこない。相変わらず心臓の鼓動だけがやたら早くて苦しい。
 頭では分かっていても,心が拒否していた。ありえない,ベリーがいなくなったなんてあり得ないと叫び続けていた。だって,昨日まであんなに元気だったのに。今朝も普通におはようって起こしたのに。だってだってだって,あのベリーがいなくなるなんてありえないじゃないか!

 ベリーと共に続けた19年近い日常がいかに長かったか。
 ベリーの存在がいかに重く掛け替えのないものだったか。

 私は生まれてこの方,ベリーを失う以上の深い悲しみを味わったことが無かったことを知った。我が家にベリーとの日常が戻ってくるなら悪魔に魂だって売っていい。ベリーとの日常に戻れるなら世界中の何がどうなってもかまわない。
 だが,魂を買ってくれる悪魔はいないし,世界の何がどう変わろうとベリーは帰らない。もしも別のオカメインコを連れてきたとしても,その子はベリーではない。ベリーは長い年月をかけて私達との関係を築き今のベリーになった。ベリーは私達との暮らしの中でベリーになったのだ。私もベリーとの暮らしの中で今の私になった。生物に代わりは存在しないという当然のことを嫌というほど思い知った。

 ベリーとの日常は,19年目を過ごしていた今日,終わったのだ。

 ベリーはきちんと死んでいく生物だった。
 頭では知っていたけれど,たぶん私は心では知らなかったのだ。

 ベリーのあの強固な意志はどこへ消えたのだろう?
 ベリーは日々何かを学んで賢くなっていたのに,それが今日,全て消えて無になった。
 ベリーは何のためにあんなに色々学んで考えて生きてきたの? 明日をより楽しく過ごすためではなかったの?
 生物とは何て残酷なのだろう。

 同時に自分がベリーと何一つ変わらない死ぬべき生物であることを,今まで以上に自覚した。オカメインコも人間も同じように簡単に死んでしまう生物で,同じように明日生きているとは限らない。何も違わない。同じように同じような生物なのだ。
 また,日常というものが生命という脆い基盤の上でバランスを保ちながら存在を許されているだけの奇跡であるということを実感した。
 明日が今日と同じように過ぎていく保証などどこにもなくて,今日がもし何事もなく終わろうとしているのだったら,それは天に感謝すべき幸福なことなのだ。

 そんなことは言われるまでもないことだ。誰だって,よくよく知っている。
 でもしっかり自覚するのは辛いから,自分にだけは死というものが訪れない,自分の周囲にだけは訪れないかのように振る舞って過ごしている。その事実にだって,もちろん私は普段からよくよく気づいていた。ベリーとの時間が限られていると思うからこそ,沢山の写真を撮って,沢山話しかけてベリーとの日常を愛してきたつもりだった。

 それでも,いざその時を迎えてみると,私は自分が何も自覚していなかったと思え,日常をもっともっと大切にできたはずなのにという後悔ばかりが止めどなく湧いて出た。

 ベリーは最後に教えてくれたのだ。日常が奇跡であることを。

 ベリーがいた日常が終わった。
 そしてベリーがいない日常が始まった。

 20年前も今日もベリーがいないことは同じだが,今日の私は20年前とは違ってベリーと過ごした記憶を持っている。ベリーは概念になったのだ。彼の喪失がどんなに悲しく苦しくとも,ベリーと出会えて本当に良かった。心からそう思える。

 この日が終わる頃になっても,まだ私は泣けなかった。
 涙も出ない。心が受け入れてくれない。
 苦しくて眠れる気もしなかった。

 これからも間違いなくずっと,私はベリーの記憶と一緒に生きていくであろう。それは確かだ。それを心で受け入れなければならない。
 ベリーは優しくて楽しくて面白い,素敵なオカメインコだった。楽しく思い出せるようにならなければならない。でも,そうできるようになるにはとても長い時間が必要そうだ。

 少なくとも,最期の瞬間ベリーは私と一緒だった。
 発作で苦しんでいる間,私も夫もベリーの前にいて心配してあげられた。
 ベリーが発作を起こし逝ってしまうまで,たったの90分だった。90分間ベリーから離れていることなど,日常生活の中ではどうしたって普通にあることだった。2017年の秋にベリーが肺炎を患って以来ベリーを一人にして出かけることは極力避けてきたが,それでも,たまたま買い物に出ていたら帰ってきたときベリーは死んでいたかも知れないし,深夜だったら朝起きた時にベリーは冷たくなっていたかもしれない。
 そんな不幸な可能性は幾らでも考えられたが,それは起こらなかった。様々な偶然が交差する日常の中で,ベリーは最期まで私達と一緒だった。私達はベリーの最期の時を共に過ごすことができた。それに逝く直前まで普通に楽しく生活していた。
 それがせめてもの慰めだと思う。思うしかなかった。

 ベリーが教えてくれた日常の大切さを忘れずに生きていく。
 決定事項だ。
 この先ずっと私が死ぬまでベリーは心の中にいるのだから,忘れるはずがない。

 ベリーありがとう。
 ベリーありがとう。
 ベリー。
 ベリー。


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今朝のまったり

そういえば最近ベリーの写真をインスタとかTwitterとかにアップしていなかった。
と,今朝突然思い立って,朝からまったりなベリーを撮った。

(2022-04-22)
(2022-04-22)

撮るとだいたい「グェッ!」と嬉しそうな声を出し,自慢げなポーズをとる。
撮ってもらった=かまってもらった,ということで嬉しいのだろう。

(2022-04-22)
(2022-04-22)

ここ数日毛が抜けていて,少しツンツンだ。
昨夜は粟穂を少しばかりあげたけれど,今朝の体重は94g。

若い頃は換羽だろうと何だろうと体重が減るとは無縁だったベリーだが,
最近は羽を製造するために以前より体力を使っているようだ。

(2022-04-20)
(2022-04-20)

朝のひととき

 ケージを覆う布を外すと,まず体重測定。

(2022-03-14)
(2022-03-14)

 測定が終わるまで体重計の上でじっとしていてくれる。
 行為の意味を理解しているのだろうか?

 じっとしてくれるけれど,あまり好きではないらしく,体重測定が終わって「はいベリーちゃんありがとね!」と言って体重計の上からベリーのプレイグラウンドになっている棚の上に移動させようとすると,必ず手をガジガジと噛まれる。
 微妙に痛いような痛くないような甘噛みで抗議を示すから器用なものだ。

(2022-03-14)
(2022-03-14)

 体重想定が終わると大抵一度ケージに戻って朝食を食べ,食べ終わると再び外へ出てくる。
 そしてその日の気が向いた場所でしばらくまったり過ごしている。
 今日は私が化粧している横にやってきてじっとしていた。