ずっと逃げてきた。
けれど,そろそろちゃんとベリーのケージを片付けなければならない。
だが,ケージとお別れすると思うと,ベリーの記憶が次々と頭の中に流れ出す。
ケージの上で箱を囓って楽しそうにしていたベリー。
ケージの上ですっかり寛いで眠ったり毛繕いをしていたベリー。
ケージの扉に上って得意げだったベリー。
カンカンカンと音を立てながらケージの壁を移動するベリー。
美味しそうにご飯を食べたり水を飲んだりするベリー。
ケージに抱きついておいおいと泣いてしまった。
ベリーベリーベリー。
ここが大好きだったじゃないの。
いつもここで遊んでたじゃないの。
何でいないの?何で?
ベリーどこへ行ったの?
どこにいるの?!
どれだけでも涙が溢れてくる。
ベリーと別れ,このベリーとの最大の思い出であるケージとも別れなければならないの?
そうだ。そうしなければならない。
空になったケージ,もう二度と小鳥が入ることのないケージを置いておくのは良くない。
さんざん泣いた後,心を堅く堅く立て直し,作業に取りかかった。
まず,災害時の避難用に買ったキャリングケース。
普段はベリーグッズを収納する場所になっていた。
避難所に行くことはなかったし,病院に持って行くには大きすぎるので,結局あまり使わなかった。ケージの丸洗いの間たまにベリーに入ってもらったが,こんなところに入れられるなんて沽券に関わるらしく,ここに入れられるとベリーは私が近くを通りかかるたびに「フッ!」と言って怒りを表明したものだった。
毎晩ケージにかけていた黄色いおやすみカバーは,解いてただの布に戻そう。
キャリングケース自体は蓋を取って廃棄し,籠部分は綺麗に洗って洗濯籠として使うことにした。
ベリーをお迎えしたときに挿し餌用に買った給餌器具と,餌や水が少しずつ出てくる給餌器。
挿し餌用は買ったけれど結局ほどんど使わなかった。ベリーはこの器具から食べるのは好まず,挿し餌はスプーンを使って行った。流石に捨てましょう。
紫の底がついた給餌器は,ベリーが亡くなる直前に抜けて何となくとってあった尾羽根を入れるのに丁度良い長さだったので,ベリーの最後の抜け羽根を入れて飾っておくことにした。
今年に入ってベリーの換羽は一度しかなかった。
最近は少しずつ抜けるという感じだったのだが,たまたま6月後半に見かけた長い羽を捨てずに棚の上に置いていたのだ。
最後にケージに残っていた大きめな羽根と棚の上に残っていた長い尾羽根を,ベリーの最後の置き土産として飾った。
周囲のものからとりかかったが,とうとうケージ本体だ。
棚から出して,最後にベリーがいた時のままになっている様子を眺めた。
亡くなって帰ってきたベリーはほんの一時,この新聞紙の上に帰った。
10年以上ベリーが暮らした部屋。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
そして,さようなら…。
左の壁にはベリーが最後の発作で吐き出したシードが,まだくっついていた。
役目を果たすことができずに残された新聞紙たちを片付ける。
そしてケージ本体をばらす。
ケージは1ヶ月半〜2ヶ月に一度の頻度で丸洗いしていた。
ベリーが亡くなる2週間前,6月18日の土曜日に丸洗いしたところだったので,ケージはあまり汚れていなくて綺麗な状態だった。
この6月の丸洗いの日は,ベリーはキャリングケースに入れられず外で自由に待っていた。
ベリーは人間が作業をするところを見るのが大好きだったので,部屋の中を飛び回りながら楽しそうに見ていたものだった。でも時間がかかると家に帰りたくなるらしく,最後の方は「未だなの?」とせっつくようにギャーギャー言い始めた。
最後のケージ丸洗い,ベリーをキャリングケースに閉じ込めなくて良かった。ベリーに楽しんでもらえて良かった。
ベリーはきれい好きで,ケージの丸洗いをした日はいつもご機嫌だった。
最期の2週間を綺麗な状態で過ごしてもらえたことも,本当に良かった。
ベリーが亡くなったときにケージが汚かったら,きっとさだめし後悔したことだろう。
普段からやるべきことをやっていて良かった。
東京23区のゴミの規定では,プラスティックは燃えるゴミ,埋め立てゴミは30cm以下なら袋に入れて回収ということになっている。
粗大ごみにすると,札をつけたままマンションのゴミ捨て場に回収の日まで置いておかれ,ゴミ捨て場に行く度に自分が廃棄した粗大ごみを見かけることになってしまう。
ベリーのケージをゴミ捨て場で見続けるのは辛すぎると思われ,頑張って一辺30cm以下になるようケージをばらし,感謝を捧げて袋に入れて廃棄した。
あぁ本当に,今日までありがとう。
ベリーを保温してくれたヒーター。
これはベリーをお迎えした時に買った19年近く前のものだ。中のヒヨコ電球は数年前にベリーが肺炎になった時に買ったもの。
分解すると,ベリーのフケがバラバラとたくさん出てきた。
このフケの一片一片が愛おしくてたまらない。
こんなところに残っているベリーの名残と別れなければならないのがとても辛い。
バカじゃないの,私頭がおかしいんじゃないの。
そう思いながら,大きめでピンセットでつまめるフケをベリーの最後を集めた壜に収集した。
ベリーの食べ殻入れ。
さすがにこれはそのまま廃棄…。
ベリーは赤いペレットばかり選んで食べていたので,オレンジと黄色,黄緑はほぼ捨てることになっていてもったいなかったな。
洗ってベランダに干したベリーの思い出たち。
ケージは扉だけ外してとっておいた。何かに使おう。
ベリーの玩具たちは部屋に飾ろう。
ケージを置いていた棚全体を大掃除。
ベリーがよく寄り添っていたスピーカーの後ろがダウンだらけだった。
このダウンも,できるだけベリーの最後の壜に回収。
だって,ベリーのダウンは常に家の中を舞っているのが普通だった。なのに,もう二度と見られないのだ。
ぜんぶベリーが製造したもの。あぁすごいエネルギーで生きていたんだなとよくわかる。
破壊して遊ぶ用に与えたクリーニング丸には,最後まで興味を示してくれなかった。
ベリーとはそういう奴だ。与えられた物より,人が困る物を囓って「してやったり」と自慢そうにするのだ。あと5年生きていてくれてたら,気が変わってクリーニング丸を破壊する日も来たかもしれなかったけど,残念。
ベリーがいなくなって用済みになったクリーニング丸も廃棄。
こうして,ベリーを見送って2週間以上経った7月17日〜18日にかけて,私達はベリーのケージを片付け心に一つ区切りをつけたのだった。
辛かったし,今思い出してもケージとのお別れは辛くて泣けてくる。
そしてケージとお別れしてもベリーを失った辛さが消えるわけではない。
けれど,確かにベリーがいない生活の第一歩にはなったと思う。
ベリーはここにいる。
私の心の中に。この家の空気の中に。
心の中に片時も離れずいてくれるベリーに慣れていかなければ。
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