ベリーが突然逝ってしまって10ヶ月が過ぎようとしている。
ケージの扉を気にせずに窓を開けベランダに出ることに慣れてきた。鳥の匂いがしない部屋に慣れてきた。夜中に地震が来てもベリーのために飛び起きることもなくなった。暗くなるまで外出しても気にしなくなった。ベリーの出す生活音がしない静かすぎる部屋にも慣れてきた。
ベリーがいない生活には,確かに慣れてきた。
けれど,ベリーが私の意識から消える瞬間は全くない。
私は一日中ベリーを呼んでいる。何かと言えばベリーを呼んでいる。そして度々話しかけている。「ベリーちゃん良い子ね。ベリーちゃん可愛いね。ベリーちゃん大好きだよ,どこにいるの? 寂しいよ帰ってきて」
どこにいるかわからないベリーの面影に話しかけている。
ベリーがいない寂しさも悲しさも少しも薄まらないし消えないのだ。
でもこれを人に理解してもらうことはできないだろう。
ベリーが逝って3週間ほど経ったときのことだった。ある人に言われた。「落ち着いた?」と。ベリーを失った私を心配してくれてのことだと頭では分かっていた。でも,私は許せなかった。ベリーが私にとってどれほど大きく重い存在だったか!ベリーは私の半身。ベリーは私の心の一部。ベリーは私の愛の源。たった3週間で落ち着くはずないじゃないか。ベリーを何だと思っているの。
分かっている。他人にそんなことを言っても仕方がない。人に分かるはずがない。
そして分かってもらおうとも思わない。
だけど…ただ…分かっていないに決まっているのだから,踏み込んで欲しくなかったのだと思う。私はそう言ってくれた人のことをまだ許せずにいる。私はどうしてこう心が狭いのだろう。
ベリーを失った寂しさや辛さ,それをたまに吐き出したいと思う。
でも誰に?
人に言うわけにもいかない。聞かされたところで相手は困るだけだろう。
ベリーがいない辛さを吐き出せるとしたら,このブログだけなのだと思う。ここはベリーと私の記録の場所,ベリーと私の場所だから。
亡くなる10日前のこの写真が大好き。
この瞬間のことを今も鮮明に思い出せる。
死後の世界があってまた会えるといいのに。
胸がつぶれるほど辛いよ。
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