あの暑かった日。
黄色い太陽が容赦ない日差しを投げかけ,朝日の中でベリーが金色に輝いた朝。
突然ベリーが苦しみ始め,あっというまに逝ってしまった悪夢のようだった日。
2022年7月1日から一年が過ぎた。
多分私はほぼ一瞬もベリーを忘れずに一年を過ごしたと思う。ベリーがいないことが常に喉に引っかかっているようだった。
大袈裟なようだが,私の生活は常にベリーが中心だったのだ。
今やっている○○が終わったらベリーのところへ帰る。ベリーの顔を見に行く。ベリーに話しかける。いつも今やっていることのあとにベリーがいた。ベリーの為に「今」を過ごしていた。どんな「今」もそうだった。
ベリーがいなくなって,心が帰る場所を失って宙ぶらりんになってしまったのだ。
行き先を失った心が痛むから,ベリーがいない事実と常に向き合うことになっていた。
でも悲しみとの付き合い方は少しずつ学んだと思う。
会いたいなぁ。ベリー,会いたいな。
何という大きな存在だったことだろう。
オカメインコとは何と大きな存在になり得るのだろう。
日々,ベリーと過ごした19年の時を振り返って過ごしている。
毎年7月1日〜2日に地球は半夏生を迎える。
ベリーの魂が逝ってしまった7月1日と,ベリーの身体とお別れした7月2日。
ベリーの命日は半夏忌と呼ぼう。
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