静寂が染み渡る部屋
2022年7月3日。
ベリーの気配が消えた静かすぎる家の中で迎えた2回目の朝。
ベリーのケージに向かって話しかける。
ベリーのことを忘れるなんて無理だから,今まで通り,概念になったベリーに話しかける。
「ベリっちゃんおはよ」
何故いないの?
心に鋭い痛みが走る。
居たたまれず,朝食を食べ終わったベリーが毎朝必ず寛いでいた場所にオカメインコのフィギュアを置いた。
ベリーベリーベリーどうして? あんなにもここが好きだったのに,毎朝ここにいたのに,どうしてここにいないの? ねぇ理解できない。信じられないよ。何故急に逝ってしまったの? 何であんなことが起こらなければならなかったの!?
ベリーがいたら聞こえる筈の毛繕いの音や嘴のギシギシいう音,音楽に合わせて静かに出すピヨという声。
それらが消えた静寂が私を包む。
そうしてこの朝,私は初めて泣くことができた。
このお人形に寄り添っているベリーがいない。あの可愛いベリーに,あの元気で賢くてお茶目なベリーにもう二度と会えない。
分かりたくなかった事実がとうとう心に届いてしまった。
しばらく声を出して泣いた。この2日間凍結されていた涙がようやく沢山流れ出た。
ベリーは私の一部だった。ベリーは私達の家族だった。ベリーを中心に輪になって過ごしていたのが我が家だった。ベリーは毎日24時間家にして,私達を待っていてくれた。ベリーほど重要な存在は無かった。
私達はオカメインコを飼っていたんじゃない,ベリーを飼っていたんじゃない,ベリーと暮らしていた。その大きな大きな存在だった家族が突然欠けてしまったのだ。
心臓が握りつぶされるように痛い。
沢山泣けばベリーが帰ってきてくれるならどれだけでも泣くのに!
でももう私がどれほどベリーを愛していたかをベリーに届けることはできない。3日前なら何の支障もなくできたことだったのに!
思い出集め
ケージの上にはベリーが少しずつ囓って楽しんでいたキムワイプの箱が乗ったままだ。
ベリーはこの箱に寄り添って居眠りをしたり,この箱を引きずり出してケージから落とそうとしたり,破って楽しんだりしていた。1個目の箱がボロボロになったので,新しく空いた箱を見せて「ベリー要る?」と尋ねたら「ピヨ!」(要る!)と元気よく答えたので,2個の箱が二重になって置かれていた。
ベリーが囓ったり寄り添ったりしていたというだけで,このボロボロの箱は私にとって宝だった。
私はこの箱の一部,ベリーが破った跡がいっぱいついている場所を切り取って,台所から探してきた調味料の空き瓶に入れた。
ベリーが生きた証である痕跡は,しばらくしたら家の中から消えてしまうだろう。
今のうちに,いまそれが残っているうちに,出来うる限りたくさん集めておこう。
他人にはゴミにしか見えないベリーが噛みちぎって作った木屑や紙くず,ベリーが毛繕いの時に散らしたフケもダウンも,見つけたら片っ端からこの瓶に入れてベリーの最後の思い出として手元に置いておこう。
気分を紛らわすために,何かやることが必要だった。
ケージの中,ベリーの玩具にダウンがくっついているのを発見!
さっそくこれもピンセットで回収し,瓶に入れたのだった。
ベリーの御守り
ベリーのケージには御守りをつけていた。
地震を怖がるベリーのために,鹿島神宮から地震用の御守り。
そして江島神社のペット用御守り。
今までベリーを守って下さってありがとうございました。
御守りにお礼を言ってケージから外す。ペット守りはそのうち江島神社に返納に行こう。それまでは地震守りと一緒にこのまま私のPCデスクを守ってもらおう。
二度とベリーは帰って来ないのにベリーの物をそのまま置いておくのは良くないだろうと思うが,この日できたのはこれだけだった。
ベリーが使った物たちをこれから片付けていかなければならないのだ。
それは途方もなく辛い作業と思われた。
今は無理。今は無理だ。
少しずつ,少しずつ心を整えながらやっていこう。
ベリーは今も一緒。いつまでも一緒。
私が生きている限りベリーは心の中に住んでいるし,もし魂があるのなら,この部屋に戻ってきていつも通り過ごしていることだろう。
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