哀悼の文月

 10年以上前の七夕の日,とある場所に書き殴った。
 小学生だった昔から,私にとって7月は愛鳥を想う悲しい月だった。


 小学校三年生だった7月7日。七夕飾りを作るのに夢中になっていた私は、後ろから私を追って飛んできた愛鳥に気づかずドアを閉め、挟まれた愛鳥は命を落とした。
 雛から育ててとても仲良しだった文鳥を、自ら死に追いやってしまった。
  9歳になったばかりの私にはあまりに重く辛いことで、滅多に泣かない子どもだったけれど、そのときだけはいつまでもいつまでも泣き続けた。どんなに泣いても泣いても、何の役にも立たない。文鳥は冷たいままで、二度と私に甘えてくれることはない。全てが私の不注意のせいで。
 40年以上経った今でも断末魔の叫びが耳の中に残っている。
 以来、七夕の夜は私にとって逝ってしまった愛鳥のことを思い出す夜になった。七夕飾りは二度と作っていない。
 あの子の分まで、今一緒にいるオカメインコと楽しく過ごす。ぜったいに。ぜったいに気をつける。ドアの開け閉めも窓の開け閉めもその他の危険なもの全てに。だからお願い、見守っていて。
 悲しみとのつきあい方は覚えても、悲しみそのものはどれだけ時が経っても消えないのだと、七夕が巡り来るたびに思う。信じられないくらい沢山の時間が流れたというのに、今日になってもあの日に戻ったみたいに涙が流れ出ようとして困る。


 そして,とうとうそのオカメインコのベリーも逝ってしまった。
 同じ7月に。
 とてもとても大切にして可愛がってきたつもりだったのに,まだまだ数年は一緒にいられるつもりだったのに,あの日のように突然逝ってしまった。

 2022年の七夕はベリーが逝って1週間が過ぎた日。
 ひたすら涙を抑え追悼する日だった。

(2018-07-20)
(2018-07-20)

 この写真は4年前の7月。今の家に引っ越して来た直後のベリー。
 引越で乗った飛行機の貨物室で暴れた時の傷が鼻の周辺に残っている。

 ベリーは3回飛行機に乗って引越をした。そのうち2回は7月だった。
 引越が多くて苦労かけたね…。

 最初の引越は6歳の時。飛行機から降りて迎えに行くと彫像のように固まっていて,ショックで返事もできない状態だった。
 2回目と3回目は「知ってるよ」と言わんばかりの余裕振り。新しい家にも初日から馴染んでいたね。

 ねぇベリー,次の家にも一緒に引っ越したかったよ。
 でもきっと一緒にいるよね。ベリーが私のそばにいないはずないよね…。
 

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