ベリーが去ってから,思考の海に漂って過ごすことが多くなった。
心をつなぎ止めていた岸を失って,再び這い上がれる場所を探していたのかも知れない。
そのために必要なことは文学作品を読むことだった。
先人の知恵や言葉が必要だった。
久しぶりに色々な作品を読んだ。
若い頃とは違った心と知識を持って読む文学の世界は,確かに以前より大きく思考に関与し感情に寄り添ってくれた。
移動祝祭日
「ベリーは私達の移動祝祭日なのだ」と,ある日思った。
ヘミングウェイの『移動祝祭日』の冒頭に書かれた言葉が記憶に残っていて,それを思い出したのだった。
もしきみが幸運にも青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過そうともパリはきみについてまわる。
『移動祝祭日』ヘミングウェイ, 福田陸太郎訳
なぜならパリは移動祝祭日だからだ。
ベリーは楽しく賑やかで刺激的で愛情細やかで,彼がいた日々は私にとって毎日が人生のお祭りだった。私がこの後どこでどんな人生を過ごそうとも,ベリーは必ずや私の心の中に住んでいる。ベリーはいつも一緒にいるだろう。
だから,ベリーは私の移動祝祭日なのだ。
ヘミングウェイが,晩年,死の直前になって若かった頃を思い出して作品。
そう思って読むと,この先の私の人生の中でのベリーの存在についてヒントが得られる気がした。
土佐日記
高校の古典の授業以来ずっとご無沙汰で,名前すら記憶の底に沈んでいた紀貫之。彼に,突然シンパシーを抱く日が来ようとは。
土佐での国司の仕事を終え,帰京の旅の日々を書いた『土佐日記』。
日本最初の紀行文学とか,かなの散文で綴られた最初の日記とか,そんな話は私にとって単なる知識。心に響いたのは,土佐へ向かう旅では元気だった娘が,京都への帰路の旅では一緒にいない。『土佐日記』が,そのやるせなさを発露する日記であるということだ。
都へと思ふをものの悲しきは帰らぬ人のあればなりけり
『土佐日記』紀貫之
有るものと忘れつつ猶亡き人を何処と問ふぞ悲しかりける
娘がもういないことなど信じたくない。なのに,ふとした瞬間に,どうしてもその事実に気がついてしまう。そんな瞬間の,どうしようもない喪失感と悲しさが心に染みる。
これは今の私の姿であり,そして数年後の私の姿だ…。
この家に引っ越して来た時には元気だったベリー。この家をとても気に入ったベリー。
この家から去る時に,私はきっとこの和歌を思い出す。
越してきたのは夏の暑い日だった。暑さと疲れで気を失いそうになりながら,重いケージを抱えて歩いた。ベンチでベリーと一緒に一休みした。新しい家に着くと,ベリーはすぐに理解して寛ぎ,毛繕いを始めた。なのに,この家から去る時ベリーはいないのだ。
ここがベリーの終焉の地になる可能性が非常に高いとは,引っ越して来た時からわかっていた。なので,引っ越して来た時のベリーのことをよく覚えている。
そして,ベリーと共に住んだ4軒の家の中で,この家がベリーの一番のお気に入りの家になり,ベリーはここで本当に楽しそうに毎日を過ごしていた。
この家から去る時,どんなにか悲しい気持ちになることだろう。
1000年前も今も,人は喪失の悲しみと向き合って生きていく。人によってはこうして言葉を紡いで悲しみと向き合うのだ。
伊勢物語
遂にゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを
『伊勢物語』在原業平
伊勢物語の最終段に書かれ,古今集にも収録されているこの和歌は,ベリーとの別れの時そのものを詠んだ歌に思われ染み入った。
前日まで,その日の直前まで,いつもと同じ平穏な時間を過ごしていた。ベリーとの別れはいつか来るとは知っていながら,それは「いつかゆく道」であって,今日のことだとは夢にも思わず当日を迎えた。
あぁでもやって来るのだ。遂にゆく道が。
ね,ベリー。思いもしなかったよ。
この写真を撮った時,5日後があなたとの永遠の別れの日になるなんて。
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