ベリーがいた場所

 ベリーが逝って2週間が経とうとしていた。

辛くてなかなか片付けられないケージ(2022-07-14 13:49)
辛くてなかなか片付けられないケージ(2022-07-14 13:49)

 空になったケージを見ながら私が毎日していたことは,19年近くの間に撮りためたベリーの写真に「berry」のタグをつけることだった。

 毎日毎日,時間さえあればパソコンに向かい,NASに保存された2003年からの写真を何度も見返し,ベリーが写っている写真や動画,ベリーに関係がある写真を探しては悉くタグをつけ,その頃のベリーと私達の生活を思い出し懐かしんでいた。そういった作業に没頭していれば,二度と再びベリーと会えないという事実を考えないで済んだ。

 タグをつけておけば,ベリーのアルバムが完成する。
 是非ともやっておかねばならない作業だ。そして,ベリーがいない今,その作業を続けている限りベリーと一緒の時間が続いているような安心感もあった。

 私が毎日ベリーの写真に明け暮れている間,夫はベリーの動画の抽出を行っていた。
 ケージの上に設置していたベリー用監視カメラの中に奇跡的に残っていた,1年半くらい前の日常動画のサルベージ作業だった。

 監視カメラはもともと留守中に外出先からベリーの様子を確認するために設けたもの。録画はしていなかった。
 だが,試験的に録画した動画が少し残っていた。古くて壊れかかったファイルだった上に,ファイルは1分刻みに分かれており,確認作業はかなり根気を要するものだった。だが,朝起きてから夜寝るまでのベリーの定点観測。ベリーとの何気ない日常が記された貴重な動画だ。
 私達はベリーとの日常の思い出を可能な限り救い出したかったのだった。

 日常というものは,失った後に初めて真価を知るものだ。
 その最中にいるときは雑事に紛れて流れてしまうし,普通のこと過ぎてわざわざ撮ったりしない。
 それが自動的に記録されていたのだ。何てありがたいことだろう。


 そうしてまた巡ってきた金曜日。
 ベリーが逝って2週間。ほぼ半月が過ぎた。
 分かっている。そろそろ,このケージを何とかしなければならないのだ。

 さまざまな思い出の角度でケージを眺める。

ソファーから見たケージ(2022-07-15 05:53)
ソファーから見たケージ(2022-07-15 05:53)

 ソファーから。

 私がソファーで読書を始めると,ベリーは出てきて私のすぐ横のソファーの袖で寛ぎ始めたものだった。ベリーがそばに来てくれるのが嬉しくて,私はソファーで読書をしていたのだった。


 ケージの扉を開いてみる。

 毎日の掃除の時,この状態になると,ベリーは開いた扉によじ登った。最初はなかなか上手にできなかったが,そのうちさっさとよじ登れるようになり,扉の上からケージの上に出る過程を楽しんでいた。ほぼ趣味といった感じだった。

 ケージの扉を開けて,私が小松菜を洗ったり水を交換するために小松菜を入れた容器を出して台所で作業をしている間に,ベリーは扉の上によじ登る。
 私が台所の作業を終えてケージへ戻る頃には,ベリーは扉の上かケージの上で満足そうにしているのだった。

 そんなベリーに毎度私は声をかけた。
 「ベリーまた趣味やってるの?」
  ベリーは得意げな顔をして,ちょっと翼を広げてぐるぐる回る。

 今も,この扉の上に,あの時のベリーの満足そうな顔が見えるようだ。

掃除の時ベリーはよく扉に上った(2022-07-16 09:57)
掃除の時ベリーはよく扉に上った(2022-07-16 09:57)

 このケージは2番目のケージだった。
 ベリーを迎えた時に買ったケージを,2010年にこれに買い換えた。

 ベリーはケージを買い換えても,引越前後にケージのサイズを変えても,全く気にせずに同じように過ごしてくれる子で,本当に助かったものだった。

 親馬鹿なので,ベリーはとても賢く,ケージは変わってもケージである事に変わりはなく,自分の居場所であると理解してくれていたのだと思っている。

ケージの買い換え(2010-10-31)
ケージの買い換え(2010-10-31)
(2021-12-12)
(2021-12-12)
(2021-01-17)
(2021-01-17)
(2021-02-15)
(2021-02-15)

 ベリーはケージを自分のテリトリー(部屋)の中のコアだと認識していたのだと思う。
 いつもケージの周辺で寛いでいたし,外に出ていても最後には自らケージに帰って行っていた。ケージこそがベリーの居場所だった。

 あぁしかし,そのベリーの最愛の居場所を処分しなければならないだろう。
 そろそろ…この週末くらいには。

 ずっと考えないように他の作業に逃げてきたが,そろそろ逃げてばかりもいられない。客観的に考えて,そろそろケージとお別れすべき時だと思う。
 ベリーはどう頑張っても戻ってきてくれないのだから。
 それは自然の摂理で確定していることだから…。

 そんな気持ちの中,7月16日〜18日の三連休を迎えようとしていた。

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2回目の日曜日

 2022年7月10日(日)。
 ベリーがいない2回目の日曜日。
 少しずつ少しずつ,遺品の整理を続ける。

 ケージを棚から下ろし,ケージの下に保温用に敷いていたシートを取り出した。

 ケージサイズに作ったフワフワシートを,更に保温性が高そうなフワフワのカバーに包んでケージの下に敷いていた。
 これらは使い道がないので廃棄。
 今までありがとう。ベリーを温かくしてくれてありがとう。

 ベリーは成鳥になってから14歳で肺を患うまで,真冬もヒーター無しで過ごしていた。
 ずっとマンション住まいなので底冷えすることはないし,部屋はだいたい真冬でも17〜18℃は保たれている。とても寒い日はエアコンで調整するものの,それ以外は弱い子にならないように室温の寒暖差の中で過ごさせた。

 肺を患って以降は,年もとってきたしということで,年中ヒーターとサーモスタットで30℃前後をキープし,役に立っていたかどうかは疑問だけど,ケージの下にこういった保温性の高い素材を敷いて冷えないように対策していたのだった。

ケージの下に敷いていた保温用マット(2022-07-10 14:29)
ケージの下に敷いていた保温用マット(2022-07-10 14:29)

 そして,これはベリーを迎えた時に作った止まり木。
 幼鳥だった最初の頃は,これに乗って体重を量ったり,ここで大人しく遊んだりしたものだった。しかし成鳥になってからはすっかり使わなくなっていた。

 これも使いようがない。
 金具と木にばらし,素材に戻した。

ベリーお迎えの時に作った止まり木(2022-07-10 14:29)
ベリーお迎えの時に作った止まり木(2022-07-10 14:29)
(2003-11-17)
止まり木に留まる幼鳥時代のベリー(2003-11-17)
止まり木に留まる幼鳥時代のベリー(2003-11-22)
止まり木に留まる幼鳥時代のベリー(2003-11-22)

 この日できたのはここまで。
 ケージはもう一度,ベリーがいた棚の上に戻した。

ベリーが逝って10日経ったケージ(2022-07-11 07:19)
ベリーが逝って10日経ったケージ(2022-07-11 07:19)

 わかっている。
 このケージを何とかしなければならないのだ。

 いつまでも空のケージをここに置いておくのは良くないことだろう。
 わかっているのだ…。

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1週間が過ぎて

 2022年7月8日。
 再び金曜日が巡ってきた。

 1週間前の今頃は,まだベリーは生きていた。
 1週間前の今頃は,ベリーはケージの中で穏やかに毛繕いしていた。
 1週間前の今頃,あの悪夢の発作が始まった。
 1週間前の今頃,病院に電話が繋がった。
 1週間前の今頃,地下鉄の中でベリーの背中を撫でた。
 1週間前の今頃,ベリーは逝ってしまった…。

 一日中1週間前のベリーの軌跡をたどっていた。
 考えれば苦しいのに,考えざるを得ない。

 だが1週間も経ったのだ…。
 そしてベリーが生きていた日は刻一刻と遠ざかり,二度と戻らない。

 1週間その作業から目を背け逃げ続けていたけれど,いい加減に遺品を片付けていかなければならない。生きている者は先に進まなければならないし,ベリーが生きていた時のままを保って帰って来ないベリーを待ち続けるようなことをしていてはいけない。…きっといけない気がする。
 自分が生きて進んでいくためには,片付けて,心にけじめをつけるべきなのだと思う。

 分かってはいるものの,何と難しいことだろうか?!

ベリーが楽しんだ跡(2022-07-08 11:44)
ベリーが楽しんだ跡(2022-07-08 11:44)

 ベリーが毎日囓って遊んでいたキムワイプの箱を崩してみたものの,とてもじゃないが,これを捨てるなんてできやしないと思った。
 誰が見てもボロ紙のゴミだけど,私にとっては二度と手に入らない思い出の品,宝物なのだ。

 キムワイプの箱は平たく潰し,ベリーの書類ファイルを作りそこに収納した。


 食べ残したベリーのご飯をどうしよう。
 シードは2週間前に開けたばかり。艶々のヒエやアワたちがたっぷり残っている。上等なシードなので見るからに美味しそうだ。
 ペレットも開けたばかりだし,粟穂なんて開けたばかりでまだ1本しか食べていない!

 ベリー,あなたが毎日ギャーギャー言って欲しがっていた大好きなご飯がまだこんなに残っているのに,食べもしないで逝っちゃうの?
 ねぇ食べに帰ってきて。

 また心臓が締めつけられる。
 心を殺さなければ片付けることもできやしない。

ベリーが食べ残したご飯(2022-07-08 16:16)
ベリーが食べ残したご飯(2022-07-08 16:16)
(2019-09-03)
(2019-09-03)
(2019-09-03)

 ペレットは仕方ないのでそのままごみ箱へ。
 ペレットはご機嫌でお腹がそこそこ満たされた後に食べるおやつだった。でも赤いのばかり好んで食べていた。緑もたまには食べたかな。これは3月に買って4月くらいに開けたものだったっけ…。

 シードと粟穂はどうしても捨てる気になれず,そのまま戸棚にしまった。
 シードは植物の種。生き物なのだ。
 動物は他の生物を食べなければ生きていけない。このシードたちは小鳥に食べられるために大切に育てられ,こうやって袋に入れられている時点で自分の命を捧げているのだ。
 ベリーを失い,このシードたちの命をも無碍にするのは辛すぎる。

 せめて野鳥さんにでも食べてもらえれば良いが,我が家はマンションの上階で,野鳥さんに来ていただける環境ではない。

 シードはコロナ禍も踏まえ一年くらいは安心できるように在庫を持っていたので,この他にまだ封を切っていないものが3袋も残っていた。
 ベリーはまだ2〜3年は余裕で生きていることを疑っていなかった…。

 シードのことはまた今度考えよう。今はこれ以上無理だ。

ベリーが最後まで遊んだ玩具(2022-08-05)
ベリーが最後まで遊んだ玩具(2022-08-05)

 ベリーが子供の頃に食べていたボレー粉を入れていた黒い蓋の壜は,中身を捨てて,ベリーが最後に遊んでいた,そしてベリーのお葬式でも飾った玩具を入れておくことにした。


 粟穂は袋の口を開けてみると,美味しそうな匂いがする。

 ねぇ,ベリー。この美味しい粟穂,もっとあげたかった。
 あなたが喜んで食べるところを見たかった。

 粟穂の袋もシードと一緒に一旦戸棚に入れた。

もっとあげたかったおやつ(2022-07-08 16:20)
もっとあげたかったおやつ(2022-07-08 16:20)
(2020-05-01)
(2020-05-01)

 食べ物を片付け,それからケージの棚の下に準備してあった,ベリーのケージサイズに整えた新聞紙を片付ける。
 新聞紙はいつもこんな風にケージの底の形に整形し,毎日交換していた。
 長方形に切った方は上の止まり木の下に敷いていた。

 ベリーはフン切り網の上に乗っているこの長方形の新聞紙の上で粟穂を食べたり,或いはこの新聞紙を破って遊んだり,自由に活用したものだった。
 ベリーがまだ子供だった頃からの私達とベリーのやり方だった。

要らなくなったケージサイズの新聞紙(2022-07-08 16:22)
要らなくなったケージサイズの新聞紙(2022-07-08 16:22)

 この日できたのはこれだけ。
 たったこれだけの作業がどれほど辛いことか。

 この日,安部元総理が銃撃されるというテロが起こった。
 ベリーを失ったばかりの私達は安部元総理の命が助かることを願ったが叶わなかった。
 このテロ事件はベリーを失った悲しい7月の記憶として忘れられない気がする。

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