普通に美味しく食べようよ

 昨日のこと,京都で湯豆腐の大食い大会が行われたというニュースを見かけた。
 「大食い」とか「早食い」などと聞く度いつも思う。普通に美味しく食べればいいのに,と。

 いや,何を楽しもうと「人の勝手」なのかもしれない。私は「世の中に飢えている人もいるのに」などと文句をつけるほどの人道主義者?でもない。が,単純に疑問に思う。何故食べる量や速度を競わねばならないのだろう。沢山食べられるのが偉いことだとは思えないし,身体に良いことだとも思えない。それなのに? そういう大会で人々がこぞってむさぼり食っている映像などを見ると私は本当に胸が悪くなって吐き気がする。そして,大食いされている食物も,その材料も,みんな可哀相に思えてむしょうに悲しくなる。

 食べることは,他の生命をいただいて自分の中に取り込むこと。食べるという行為は,自分の一部になってくれるものたちとの最後の歓談のひとときだ。
 「大食い大会」なるものには食されるものたちへの愛も感謝も尊厳も見あたらない気がして好きになれない。できればそんな大会無くなればいいのにと思うが,こういうのが好きな人って多そうだし,人に食欲がある限り無くならないのだろう。せめて「ほのぼのとした話題」的な扱いでゴールデンタイムのニュースに流すようなことは止めて欲しいと思う。

ありがとう

交差点

  わかっていました
  ほんの短い逢瀬だと

  時と場所のスクランブル
  たまたま居合わせ交差した

  あとは離れてゆくばかり
  知っていましたそんなこと

  ただ少し期待したのです
  逆らえるかもしれないと

ゆく川の流れは絶えずして