光と水が出会うとき

雨上がりのシャボン玉(2022-06-17)
雨上がりのシャボン玉(2022-06-17)

シャボン玉が好きだったのは,
幼稚園から小学校1年生くらいの頃だった。

シャボンの表面をクルクルまわる虹色の光がとても神秘的。
大きなシャボン玉と小さなシャボン玉で微妙に色が異なるのも不思議。
そして光を失って消えゆく様子は少し怖かった。

シャボンの薄い膜の外側と内側で光の屈折が異なり虹色が見える。
水がどんどん蒸発するからシャボンの膜は薄くなり,虹色は薄くなる。
大きなシャボン玉の方が色が薄いのは,大きなシャボン玉の膜が薄いからだ。

光の干渉なんて言葉は知らなかったけれど,
幼児だった私はシャボン玉をよくよく観察して現象の性質を知っていた。

雨上がりとシャボン玉の相性が良いのは,
どちらも水と光の魔法がかかっているからだろう。

今年殺した全てに乾杯

天使と悪魔のナイトパーティー

生きることは何かを殺すこと。

血肉にすべく食する他の生物はもちろんのこと。
刻一刻と消費する時間。
生きる毎に減っていく夢や希望。
時には絶望。
タスクとしてのしかかるノルマの数字。

何かを殺すという対価を払って何かを得る。
今年もそうやって生きて,来年もそうやって生きる。
殺す何かと得られる何かはきっと少しずつ変わっていく。

どう変わるかちょっと楽しみで,やっぱり怖い。


雨粒の街角で

雨降る街を彩る紫陽花

雨の日は好き。
しとしと降る雨は心を静かに落ち着けてくれる。
激しい雨は要らなくなった情念を洗い流してくれるようで心地よい。

雨が降る梅雨も好き。
だから「鬱陶しい季節」と言われるとムッとくる。
誰もが鬱陶しいと思っているように言わないで。

雨粒を喜ぶ紫陽花や夏の花火を先取りするみたいな紫君子蘭。
同じ花を見ていた様々な過去の季節を思い出す。

循環する大気の上昇気流が集まって降ってくる雨粒たち。
きっと世界中のいつかの記憶や想いが
たくさん詰まっている。

雨は地球が奏でる詩なのだと思う。
いつか私もその一部になる。

書店で過ごしたあの頃のこと

インクの香りと過去への扉

引っ越しが多い私にとって,
増殖し続け場所を占拠し運ぶのが大変な本というものは困った荷物だ。
だから、Amazonで初代Kindleが発売された頃から買うのは電子書籍ばかり。
本屋さんへ行くこともなくなった。


けれど,
昔は一人で本屋さんの棚を見上げて過ごす時間が大好きな子供だった。
学校帰りによく立ち寄った、今はもう無い個人書店。
書棚の様子や店内の風景を、今もよく思い出す。

小さな街の少ない本屋さんだから,
書店でバッタリ誰かと出会うこともよくあった。
好きな本のコーナーで出会う人達のことは大抵好きだったら、
今日は誰かに会えるかなというのも楽しみの一つだった。

季節によって変わった本屋さんで流れる音楽や、いくつかの出会い。
背表紙に見る知らない世界。

そういえば、この季節、
本屋さんのレジで新入学セールのカレンダーカードをもらうのが楽しみだった。
『うる星やつら』とか『みゆき』とか
その頃人気だったアニメキャラクターのカレンダーは貴重だった。
生徒手帳に挟んで持ち歩いたものだ。

新しい季節の扉は、同じ季節を過ごした過去を見る窓になるようだ。

異世界からの便り

(2020-01-17)

年始が訪れる度に、記憶の彼方に沈む遙かな時代から葉書が届く。
いつの日か確かに存在していた風景の中で、
確かに生きていた私と彼、彼女。相互を繋いだ友情。

年賀状は過去に生きた自分の証なのだ。
受け取っているのは今の私ではなく過去からやってきた私。
だから私はちょっと遠巻きな気持ちで年賀状を遠ざける。

「そのうち会いましょう」なんて言っても会わないし、
「近くにお越しの際は連絡を」なんて言っても連絡しない。
今の私は過去の私ではなく、過去の私を好きかどうかもわからない。

あの学び舎で過ごした日々から30年も40年も過ぎてしまった。
そして私は別人になってしまった。
大好きだったことにも興味を失い、違うものを追いかけている。

お正月に届く異世界からの便りを見るために帰ってきた過去の自分は、
ひととき居心地悪そうに座って、すぐに消えていった。
過去の私が嫌いだった生き方を、いつのまにか歩んでいる。