梅雨の晴れ間は碧く碧く
透けるほどに高く高く
氷の雲は白く白く
痛いほどに光る光る
眩いコントラストは夏の予告
制服の少女はかみ締めた
かの日と同じ碧と白
私は彼女に同化する
七夕伝説はロマンティック? 朝の食卓で話題になった。
「考えてみれば結婚して幸せそうだから引き離すなんて酷い話だよね」
「生活に困ったらそのうち織り姫も彦星も働いただろうし、待ってあげればよかったのに」
「迷惑だったんじゃない?」
「天界で機織りをするのは織り姫一人、牛を飼うのが彦星一人だったら、確かに迷惑だね」
なんて具合に。
まぁ、「年に一度の逢瀬」というシチュエーションが浪漫というのはわかるし、七夕にケチをつける気は毛頭無い。
ただ、幼い頃から天文が趣味で、重い機材を抱えて徹夜など浪漫とはほど遠い内容だというのにやたら他人から「ロマンティック」と言われて辟易してきたため、私には星と浪漫の組み合わせに拒否反応があるのかも。
日本独特だが、人間くさい七夕さんのお話もある。
昔、『運動音痴の織り姫様』という表題でとある機関誌に載せてもらった記事に書いたのだが、彦星ことアルタイルのある わし座 のすぐ横の、いるか座 という菱形の小星座は、鹿児島とか熊本県天草地方などの方言で「杼星」(ひぼし)と呼ばれている。菱形が、機織りに使う杼に見えることからついた名前なのだが、これは織り姫が、夫婦喧嘩で腹を立てて彦星に投げつけたものだという。
投げた杼は随分と彦星から遠いところへ飛んでいってしまったようなので、「運動音痴の織り姫様」。まぁ彦星さんの逃げ足が速かったのかもしれないけれど、運動音痴の私は運動音痴の織り姫様の方が親しみが湧くのでね。
一年に一度の逢瀬も浪漫で良いけれど、結婚して夫婦ゲンカしながら暮らしている織り姫様と彦星様のお話は、楽しくて好きだ。
小学校三年生だった7月7日のこと。
七夕飾りを作るのに夢中になっていた私は、後ろから私を追って飛んできた愛鳥に気づかずドアを閉め、挟まれた愛鳥は命を落とした。
雛から育ててとても仲良しだった文鳥を、自ら死に追いやってしまった。
9歳になったばかりの私にはあまりに重く辛いことで、滅多に泣かない子どもだったけれど、そのときだけはいつまでもいつまでも泣き続けた。どんなに泣いても泣いても、文鳥は冷たいままだった。二度と私に甘えてはくれなかった。
ずっとずっと、私は死ぬまであの子のことを忘れない。
その9歳の七夕以来、七夕の夜は、私にとって逝ってしまった愛鳥のことを思い出す夜。七夕飾りは悲しくて、それから一度も作っていない。作れない。
あの子の分まで、今一緒にいるオカメインコと楽しく過ごす。ぜったいに。そう、ぜったいに気をつける。ドアの開け閉めも窓の開け閉めもその他の危険なもの全てに。だから、お願い、許して。見守っていて。