本日はベリーの月命日。
7ヶ月経った。
ベリーの最後の月の振り返り写真シリーズもこれが最後になる。
この先のこのブログは,ベリーとの暮らしをもっと昔から振り返っていく予定。振り返ればあっという間に過ぎた19年間だったが,同じようにベリーは今もいつも一緒にいる。ベリーの面影が心の中から消え去ることは決してないのだと思う。
これはベリーが逝く1週間前。
お気に入りの場所でいつものように寛ぐベリーがいる風景を撮った。この平和な光景がずっとずっと続いて欲しいと思いながら撮った。まさか1週間後にベリーが逝ってしまうなどとは思いもせずに撮った日常の大好きな一コマだった。
日常は変わっていく。いつかなってしまう。分かっていた。だからこの風景を愛おしいと思った瞬間に残しておきたいと思って撮った。撮ってくれたこの時の自分に感謝したい。
これも同じく。亡くなる5日前のベリー。
朝のいつもの風景。
その後ベリーは珍しくテーブルの方へやってきた。珍しかったから撮った。
カメラを意識して嬉しそうだ。「撮られる=愛でられる」と思っていたらしいベリーは撮られるといつも自慢げにしていた。スマホだろうがコンパクトカメラだろうが一眼レフだろうが,撮られるということが同じであることもベリーは理解していた。でも撮った写真には全く興味なかったね。
私がPCで作業を始めると,私を見下ろす位置にあるこの場所へ来て寛ぐことも多かった。
この朝はそんな気分だったようだ。
こうして色々な場所で楽しそうにしたり寛いだりしているベリーを見かける度にできるだけ撮ってきたが,それでも私が手を離せない状態な時にベリーが行きがちな場所での写真は1枚もないなぁと思う。もっともっと撮っておけば良かったのにというのは,後からだから思うこと。その時はできなかったのだろう。
撮れなかった場所のベリーは記憶の中で再生している。
これが元気なベリーの最後の写真。
この3日後にベリーは逝ってしまった。
私が PCで何かしていたので,ベリーは私のPCのモニターの上にやってきたのだ。せっかくベリーが近くに来てくれたというのに,この時の私はモニターの前にぶら下がって動き回るベリーの長い尻尾が邪魔だったので,撮ったあと,ベリーを上の写真の温度計の場所に移動させてしまったのだった。
かまって欲しくて近くにきたベリーと,もっと遊んであげれば良かった。
でも,それが日常生活というものなのだろう…。ベリー,会いたいな。会いたいな。
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