他人のふんどしで稼ぐんじゃないわ

 You Tube からメッセージが届いた。
 発信人はとあるテレビ番組の製作担当者。テレビをほとんど見ない私でさえ知っている番組だから、たぶん名前を出せば10人中9人が知っていそうな民放番組だ。私が You Tube にアップしている動画がイメージにぴったりだから番組で使わせて欲しいという。

 こういうの、嫌い。
 有名なテレビ番組に使われると聞けば、多くの人はどうぞどうぞと自分の動画や写真を無償提供するのだろうか?
 ホームページに載せている写真や自作の図などを使わせて欲しいというメールは、たまに受け取ることがある。使われても減るものではないし、相手が個人や非営利団体の場合は著作権を尊重する条件で使って頂いているのだが、商用となると話は別だ。

 別にお金を送れとまで言うつもりはない。が、自分の商売のために他人のものを使わせてもらうのであれば、何某かの返礼をするのが当然だろう。こちらは何の義務も負っていないのにそのような問い合わせメールに時間を割いて返事し、場合によっては内容確認したり何かの作業を行い、時間と労力を費やし、他人の仕事に協力することになるのだ。それを何と心得るのか?
 何かが欲しいわけではないので、こちらにそのような煩わしい作業を強いていることを十分に自覚しその気持ちを示していただきさえすれば多くは望まないのだが、何の条件も示さずただ「使わせてくれ」と相手の好意に訴えるのは虫が良すぎるだろう。プロなら素材くらい自分で調達せよ。人のふんどしで相撲をとるんじゃない。それができないなら、協力者にはきちんと使用条件を示し礼を尽くせ。

 あぁまた面倒なメッセージをもらってしまった。
 あまりの憂鬱さに You Tube からのメッセージをその場で頭の中から追い出した私、いつの間にか本当に忘れてしまい返信を出さずに終わった。さすがに返信のないまま使ったりはしなかっただろうと信じたいのだが?

テムズ川の午後

誕生日の憂鬱

 何と言うか、年は日々とっているし、その名称が変わったところである日突然に老化するわけでもない。しかし、自分の寿命というより自分の親の寿命が近づいていると思うと自分の誕生日すらありがたくないもののように思えて顔を背けたくなるここ数年。
 そんなこんなで誕生日が近づくとただでさえ気持ちが沈みがちだというのに、それに追い打ちをかけるようにやって来るのが「ねんきん定期便」だ。誕生日が嬉しいにしても辛いにしても、どちらにしても誕生日に見事に水を差す。お前こそKYと呼んでやろう!

 そもそも人様から預かったお金をキチンと管理するのは預かった側の責任ではないか? それなのに、自分に管理する能力が無いからといってこのような数値を並べただけの分厚い封書を強制的に人に送りつけ、責任を逃れようとは何事か。

 最初の年は、腹が立つと思いながらも新社会人として初めて厚生年金を納めたときからの給与明細を引っ張り出して、丸一日つぶして数値を照合し、細かな金額の違いをリストアップし、おかしい部分を書き送った。それなりに長い年月を生きてきたのだから、この作業はすごく時間がかかって大変なものである。
 ところが苦労して作ったそのレポートの数値の不一致について一言の説明もなく、「問題はない。文句があるなら裁判しろ」という紙切れ1枚の返信が届いた。「怒り心頭に発する」とはどのようなことか、わかった気がした。これだけ明確に指摘した数値の相違について、問題がない理由も説明しないのだから、要するにねんきん定期便なんて、出す側の自己満足と自己弁解のためのものでしかないわけだ。

 二年目以降、この最悪的にくだらなく腹立たしい「ねんきん定期便」は、確認しても労力と時間の無駄だと理解し、無視することにしているが、届くことだけは避けられない。水色の封筒を見る度に気分が悪くなるのだが、そのまま捨てるわけにもいかず、家庭にある手回しのシュレッダーにかけるのはかなり面倒臭い。
 こんな迷惑千万なねんきん定期便など早く廃止して、さっさとまともなシステムを築いてくれ。

水無月

最後の贈り物

あなたの記録

確かに存在していた
こんなにもこんなにも

そんな想いも
言葉も営みも
今は遙かな星のもと

生きているって寂しい
寂しい

星にささげる瞳

夏の日射しの

  橙色の籐の帽子
  あなたの時代へ続く道

  わたしは風に目をこらす
  知るはずのない過ぎた日々

  夏の日射しは蜃気楼
  あなたの記憶に立ちすくむ

夏の日射しの