レベル低すぎ…

 実家の母が新しいパソコンを買った。ネットワークの設定はケーブルテレビの業者に依頼したとのことだが、電話で「ランって何の略?」と尋ねられた。「設定のお兄ちゃんに聞いたら、何の略かは知らないけど、ただランって覚えておけばいいって言われた」らしい。
 「Local Area Network、自宅のネットワークのことって思えばいいよ」と答えたら、英語に明るい母は納得したようだった。

 そりゃね、LANが何の略か知らなくても必要な作業をすればネットワークは繋がるよ。でもネットワークの設定を生業にしている人が、その程度の知識も無くて良いのか!? 私はそんな人に自宅のネットワークいじってほしくないぞ。

 …と思った時は他人事だった。

 一昨日、我が家のレンタル光ルータが突然故障し取り替えてもらうことになった。ところが、ルータの交換にきた男性は、何とDHCPという単語を聞いたことすらないらしかった。
 ルータの設定を生業にしている人がDHCPを知らない?! ありえないでしょ、それ。
 もういいよ、アナタには我が家のネットワーク設定は不可能です。ルータだけ置いて帰ってください…。

 何というか、勉強しようと思わないのだろうか? ものすごく超超初歩なこんな言葉すら知らずにどうしてそんな仕事をする勇気があるの?
 開いた口がふさがらない私だった。こんなんなら、私の方が立派にネットワーク設定の仕事ができそうだ。

PICNIC (PIC network interface card) Kit Ver.2

悲痛のヒヨドリ

 為す術もなかった。
 先刻からの異常な喧騒はこれだったのかと理解したが、部外者の私に何ができよう。

 タイサンボクの枝にハシブトガラスが一羽。
 その嘴からは長い尾羽がのぞき、赤い肉片がポトリと下へ落ちていった。
 周囲の電線でヒヨドリが数羽、大声を張り上げている。

 外から聞こえるヒヨドリたちの叫び声が凄まじく、
 大事件でも起こったのか訝しんでいたが、本当に大事件だったのだ。

 木の脇のベランダに私の姿を認め、カラスは少し離れた電線へ遠のいた。
 そして更に木の枝の中を窺っている。
 私には見えないが、中にヒヨドリの巣があるのだろう。
 そこにはまだ彼の食物がいるのに違いない。

 ただその場でおろおろする私。だが何が出来るわけでもない。
 私が一旦家へ入った隙に、カラスはすごい勢いで食物を獲得し、飛んでいった。
 ヒヨドリが2羽、悲痛な叫びを上げながらカラスを追ってゆく。
 既に命を失った彼らの愛子を諦めきれずに追ってゆく。
 電線にとり残された中雛が一羽、やはり警戒の声で叫び続けている。

 カラスだって生きなければならない。
 食べさせるべき雛だっているのかもしれない。
 仕方がない、仕方がない、これが自然の摂理なんだ。

 ヤモリを食べているヒヨドリを目撃したことがある。
 アシダカグモを食べているヤモリを目撃したことがある。
 これが自然の摂理なんだ。
 私だって毎日沢山の命を食べて生きている。
 これが自然の摂理なんだ。

 わかっている。
 わかっているけど、ヒヨドリたちの叫びが頭の中でこだまし離れない。

若きヒヨドリ

七夕の日に思う色々なこと

 七夕伝説はロマンティック? 朝の食卓で話題になった。

 「考えてみれば結婚して幸せそうだから引き離すなんて酷い話だよね」
 「生活に困ったらそのうち織り姫も彦星も働いただろうし、待ってあげればよかったのに」
 「迷惑だったんじゃない?」
 「天界で機織りをするのは織り姫一人、牛を飼うのが彦星一人だったら、確かに迷惑だね」

 なんて具合に。
 まぁ、「年に一度の逢瀬」というシチュエーションが浪漫というのはわかるし、七夕にケチをつける気は毛頭無い。
 ただ、幼い頃から天文が趣味で、重い機材を抱えて徹夜など浪漫とはほど遠い内容だというのにやたら他人から「ロマンティック」と言われて辟易してきたため、私には星と浪漫の組み合わせに拒否反応があるのかも。

 日本独特だが、人間くさい七夕さんのお話もある。
 昔、『運動音痴の織り姫様』という表題でとある機関誌に載せてもらった記事に書いたのだが、彦星ことアルタイルのある わし座 のすぐ横の、いるか座 という菱形の小星座は、鹿児島とか熊本県天草地方などの方言で「杼星」(ひぼし)と呼ばれている。菱形が、機織りに使う杼に見えることからついた名前なのだが、これは織り姫が、夫婦喧嘩で腹を立てて彦星に投げつけたものだという。

杼

 投げた杼は随分と彦星から遠いところへ飛んでいってしまったようなので、「運動音痴の織り姫様」。まぁ彦星さんの逃げ足が速かったのかもしれないけれど、運動音痴の私は運動音痴の織り姫様の方が親しみが湧くのでね。
 一年に一度の逢瀬も浪漫で良いけれど、結婚して夫婦ゲンカしながら暮らしている織り姫様と彦星様のお話は、楽しくて好きだ。

はくちょう座χが明るかった夏

 小学校三年生だった7月7日のこと。
 七夕飾りを作るのに夢中になっていた私は、後ろから私を追って飛んできた愛鳥に気づかずドアを閉め、挟まれた愛鳥は命を落とした。
 雛から育ててとても仲良しだった文鳥を、自ら死に追いやってしまった。
 9歳になったばかりの私にはあまりに重く辛いことで、滅多に泣かない子どもだったけれど、そのときだけはいつまでもいつまでも泣き続けた。どんなに泣いても泣いても、文鳥は冷たいままだった。二度と私に甘えてはくれなかった。

 ずっとずっと、私は死ぬまであの子のことを忘れない。
 その9歳の七夕以来、七夕の夜は、私にとって逝ってしまった愛鳥のことを思い出す夜。七夕飾りは悲しくて、それから一度も作っていない。作れない。
 あの子の分まで、今一緒にいるオカメインコと楽しく過ごす。ぜったいに。そう、ぜったいに気をつける。ドアの開け閉めも窓の開け閉めもその他の危険なもの全てに。だから、お願い、許して。見守っていて。