ベリーとお人形

 ベリーが食べ残したシードをもらっていただいた鶏小屋のニワトリモドキさんから,オカメインコのドール服が届いた。

 シードと一緒に小さなお人形を一人,ベリーの使者としてシードを送る箱に入れたのだったが,送ったお人形は双子ちゃんの片割れだった。残った一人はうちにいる。ニワトリモドキさんは,離れて暮らすことになった双子ちゃんたち各々に,オカメインコの服を作って下さったのだった。

オカメコスプレのあおいちゃん(2022-10-19)
オカメコスプレのあおいちゃん(2022-10-19)

 靴下の編み目がオカメインコの足のウロコのようで素晴らしい。
 翼の模様も翼の雰囲気も,まさにオカメインコ。
 さすが長年鳥たちと暮らしてらっしゃるニワトリモドキさんの作品で,感動ものだ。

 ねーベリー,どう思う?

オカメコスプレのあおいちゃん(2022-10-19)
オカメコスプレのあおいちゃん(2022-10-19)

 私がお人形の趣味を始めたのは,ベリーを迎えて4年目くらいのことだった。
 だから,ベリーは私が最初のお人形を迎えて箱を開けたところから全部見ている。リビング一部屋しかない小さな家で,私はずっとベリーと24時間一緒だったのだ。ベリーは私のことなら何でも見ていたし知っていた。

 ベリーが如何に私達の生活をつぶさに観察し,それに合わせて自分の行動を決定していたか。それはベリーが亡くなったあと,ケージの上に取り付けてあった監視カメラに残っていた日常の動画を見て初めて知った。驚くほどだった。
 監視カメラは外出先からベリーの様子を確認するために設置したもので,録画されていたのはたまたま偶然の数日だったし,ベリーが生きていた頃は,見ることなど思い付かなかった。だってベリーがそこにいるのに,わざわざダラダラ撮られている監視カメラの動画を見る必要などないではないか。
 もしその監視カメラの日常動画を見ていたら,ベリーがどんなに私達の行動一つ一つを注意深く見ていたかを知って,ベリーにもっと優しくできたかもしれない,もっとベリーの気持ちを分かってあげられたかもしれない。そう思って悔やまれる。
 ベリーは人から見られたり人がカメラを向けたりすると意識した行動をとるので,意識せずに撮られた監視カメラには私達が知らないベリーの姿がいっぱいだったのだ。

 話がそれてしまったが,そういうわけで私の行動を逐一チェックしていたベリーは,私が買ってきたお人形を全部知っていた。新しいお人形を箱から出していると見せろと騒いでうるさかったので毎回見せていたし,ベリーは熱心にお人形を眺めていた。

(2022-02-12)
(2022-02-12)
(2020-09-28)
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見るよ!(2020-06-20)
見るよ!(2020-06-20)
見るよ!(2020-06-04)
見るよ!(2020-06-04)

 ベリーが逝ってしまって,私は突然お人形と遊べなくなった。

 ベリーがいなくなった喪失感で気持ちが塞いでいたことは勿論だが,それ以上に,ベリーの喪失そのものが問題だった。ベリーは,私がお人形を撮って楽しむための原動力だったのだ。失って初めて知ったことだった。
 ベリーがいたからこそ,私はお人形を撮るのが楽しかったのだ。

 お人形を出して着替えさせたり,部屋の中に撮影スペースを作って撮っていたりすると,ベリーは決まってケージから出てきて周囲でウロウロし始める。
 カメラを出してお人形を撮り始めると,ベリーは「オイオイそっちばっかりかまってないで俺を撮れよ!」てな感じで近くで自慢げなポーズを取ってチラチラとこちらを見る。お人形を撮っていたカメラをベリーに向けると,ベリーは嬉しそうに翼を持ち上げ「あ」と声を上げる。
 撮影小物を並べると,ベリーは乱入して悪戯し「こらっ!」と怒られるのを楽しむ。お人形を着替えさせて棚に置くと,新しい服の噛み心地を確かめに赴き「ちょっとー!」と怒られて喜ぶ。

 ベリーと私はお人形を通じて一緒に遊んで暮らしていたのだった。
 それが楽しくて,そんな時間が愛おしかった。
 だからベリーがいなくなって,私はお人形と遊ぶのが辛くなった。お人形を見ると心が固まって息が苦しくなった。お人形達は私を悲しくさせるだけだった。ベリーがいない世界でお人形と遊んで何が楽しいのか? ベリーが…ベリーがいないというのに!

 唯一例外的に撮ることができたのは,自分で顔を描いたお人形,アイペイントドールたちだった。たぶん,自分で描いたお人形は,ベリーと同じく私の心の一部だったからだろう。
 ベリーが逝って1ヶ月半ほど,アイペイントドールしか撮れなかった。アイペイントドールだけを連れ歩き撮っていた。

 8月の半ば過ぎ。
 ベリーが遺したシードを送り出せることになり,一緒に旅立たせることにしたお人形を最後に撮らなければと思った。ベリーを失って初めて,アイペイントではないお人形を撮るということになる。辛い気がしたけれど,別れの儀式は必要だ。心を無にして双子のお人形たちと向かい合った。送り出す彼女(あいちゃん),うちに残る彼女(あおいちゃん)。
 私はひたすら辛かったから,たぶんそっけない態度で撮影し,あいちゃんを送り出した。

 だが,お人形達もベリーと同じく私をずっと見ていて知っていたのだと思う。今の私の状態を,いなくなってしまったベリーのことを。
 ベリーの使者となったあいちゃんは,ニワトリモドキさんのお宅へ私の心とベリーの遺品を届けて任務を果たし,残った双子の片割れあおいちゃんは懸命に私を慰めてくれた。

オカメコスプレのあおいちゃん(2022-10-19)
オカメコスプレのあおいちゃんとベリーの冠羽(2022-10-19)

 あいちゃんとあおいちゃん。彼女たちは明らかにベリーを失った私に寄り添ってくれていた。この小さな双子のお人形に支えられて,少しずつ,私は再びお人形たちに近づいていけるのかもしれない。彼女たちはその道標のような気がした。

 「物の怪」という言葉がある。
 「物」という言葉には「霊魂」という意味があるのだそうだ。「物語」は霊魂が語っている言葉という意味。物には霊魂があるなどと言ったらオカルトだが,人間や動物の霊魂とは違うものの,生物ではない物たちも何かの力を持っているのだろう。付喪神などという存在が信じられたのも,そんな力を感じてのことだと思う。

 ベリーを通じて,見えない様々な力について教えられ,考えさせられている。
 あいちゃんとあおいちゃん,彼女たちを通じて支えてくれているベリー,ここを読んでベリーを失った痛みを共にしていて下さる全ての方々に,力をもらっているのだと思う。

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