ホームにて巡る景色を

あまりにも、あまりにも繰り返し、同じ場所で同じ電車を見送ったから、
もうあれが夢だったのか現実だったのか、わからなくなっちゃった。
夢だったらいいな、心が痛まないもの。でもたぶん現実だったね。
 
幾許もの季節をすり抜けて、記憶は君の元へ帰りたがっている。
帰る場所なんてないってことを理解できないらしい純粋さで。
 
ねぇ同じじゃないよ、今年のイルミネーションは色が違ってる。
ねぇ同じじゃないよ、今年の木々は去年ほど色づいていない。
ねぇ同じじゃないよ、今年の風景を君は愛していないじゃないか。
 
電車がゆくね、今日も明日も。夢の日が遠ざかってくね。

そして今日も、ホームであの日の電車を見送り続ける。

そして今日も、ホームであの日の電車を見送り続ける。

weathering

キライだったモノを好きになり
好きだったモノは色褪せた
それほど長い時が過ぎてった

だからそろそろ忘れてもいい
だからもう忘れさせてはくれまいか

空が碧いから
光が優しいから
今日も痛いほど鮮やかだ

weathering

あの日の美しさはあの日だけのもの。そして今日のあなたはあの日のあなたではない。

temporary

忘れられる世界にとどまって
忘れられる愛を抱えていよう
忘れられる世界が終わるまで
temporary

あの日の君を忘れない。

いつか辛かった日の

夕暮れに寄り添った

流せない涙
忘れるべき痛み

夕暮れは寂しいから
夕暮れは切ないから

涙も痛みも許される

夕暮れは優しいから
夕暮れは潔いから

ほんのひととき
甘えたかった

ほんのひととき
寄り添った

いつか辛かった日の

夕暮れはただそれだけで寂しい。だから救われる。

お誕生日会は残酷だった。

 小学校2年生のとき,クラスでお誕生日会なるものが流行っていた。たぶん楽しそうで羨ましかった。友達は少なかったけれどいないわけでもなく,私もお誕生日会というものをしてみたくて,母に頼み込んだ。珍しく母は承諾してくれた。
 いつも一緒に登校し一緒に遊んでいた近所のショウコちゃんは当然呼ばれる対象だったけれど,インドアで友達が少ない私にとって他に誰を呼ぶかは微妙な選択。でも仲良くなりたかったヤスコちゃん,いつもちょっと気になっていたヤスコちゃんは間違いなく招待するつもりだった。
 
 なのに招待状を出すべき日が近づいたある日,母から聞いた。ヤスコちゃんのお母さんとたまたま出会った。ヤスコちゃんは私のお誕生日会に行くつもりでプレゼントを買って楽しみにしていたのだけど,ショウコちゃんに「あんたなんか呼ばれない」と言われて泣いていたと。
 青天の霹靂なんて言葉を当時は知らなかったけれど,まさにそれ。
 ショウコちゃんとヤスコちゃんの関係なんて私は知らない。
 
 その後一年も経たずにヤスコちゃんは遠くへ転校していって,それきり。更に数年後ショウコちゃんも転校していった。全ては終わった。
 だけど私はヤスコちゃんが私のために選んでくれた誕生日プレゼントのビーズの財布を,今も持っている。使わないけれど,死ぬまで大切に持っていると思う。
 そして二度と誕生日会はしなかった。もうたくさん。私に耐えられる行事ではない。私には似合わない行事なのだ。よくわかった。誕生日は一人でいい。人間関係を露呈し傷つけ合う日なんかにしたくない。
 
 ずっとそうして静かに年を取ってきた。

ヤスコちゃんのプレゼント