無能な舌よ

よくよく覚えておくがよい。

無能なお前の努力休むに似たり。
誰にも気づかれぬなら御の字だ。

未熟なお前の善意など独りよがりなありがた迷惑。
偽善と見破られぬなら御の字だ。

これらを忘れたときだけ可能になる。
それが批判という行為だと。

摩天楼

川のある風景

 自分が山を好きだってことは昔から知っていたが、川を好きだってことに気付いたのはかなり年を取ってから。京都の街へ降り立つと、必ず鴨川あたりで立ち止まる習慣を意識したときだった。

 四条大橋を渡りながらキラキラ輝く鴨川の流れを眺めた初夏の朝。
 納涼床と等間隔の法則に従って土手に並ぶカップルたちの狭間を散歩した夏の宵。
 鴨川べりの土手に座り、川で遊ぶ渡り鳥や東山の紅葉を眺めながらハンバーガーを頬張った秋の昼下がり。
 そして、北山時雨に濡れながら灰色の空を仰いだ初冬の夕暮れ。
 私は京都の街中に鴨川が流れているという事実をものすごく愛しているらしい。

 思い返せば、何処へ行っても川に惹かれ留まってきたのかもしれない。海にはそこまで魅せられないのに。

 そして今、愛しているのは神田川。
 東京で生きた数知れぬ人々のオーラに包まれたこの川には、都会の美しさが凝縮されている。そう、私にはとても美しく、痛いくらいに美しく見えるのだ、この淀んだ川が織りなす風景が。

 聖橋で、昌平橋で、万世橋で、必ず私は足を止める。
 かつてこの川を眺めて生きた多くの人たち、各々想いを湛えながら川面を眺め、空を仰いできたであろう歴史の向こうの人たち。今私もその一人になって、東京の街に埋もれていくことができそうだと思う。それは、たぶん幸せなこと。

神田川と昌平橋

日本語じゃダメなとき

 母国語だからね、日本語は。
 表現の自由度が大きすぎるのです。

 心の中がぐちゃぐちゃで
 行き場が無くて苦しくて
 出てくるのは涙と泣き言ばかりだったら
 日本語は使えない。

 たぶん、溺れてしまうから。

夜を待つ

正統論

 "I have long wanted to change my life, but I don’t know how to do it."
 "You must take some action if you want
to."

 たまたま見かけた例文。そう、たかが例文なのだが、むかついてしまった。こういう愚にもつかない説教をわかったように垂れるひとって嫌い。
 "must take some action" なんて、そんなこと言われずとも分かっているよ、"I don’t know how to do"
と言ってる本人は。"must" なのに、そのすべきことがわからない、足がかりも掴めない、だから立ちすくむ。"long"…そう言うほど長い間考え続けている人に、こんなお手本の様な助言は意味がない。黙っている方がマシだろう。
 たかが例文? いや、実際にいるのです、こういうこと言う人。言われるもの。
 放っておいてくれや。君の意見なぞ訊いていない。

ヒゴタイ