ネットの海は広大でわたしはとても孤独なのだ

 パソコン通信の昔からネットの向こうに依存しまくりの精神生活で、私の精神はほぼネットの海の中に存在している。ゆりかごから墓場まで、目覚めから就寝まで。

 しかし、ここ数年、SNSがどんどん居心地悪くなってきていることも事実だ。見たくもない他人同士の会話に落ち込んだり、世界にはこんなにも大勢の人がいて楽しそうに過ごしているのに私は孤独なんだなと落ち込んだり、兎にも角にも不必要に後ろ向きになって心が乱される。ネットさえ見なければ私は一人で幸せな時間を過ごしているだろう。強制されているわけでもないのに好んで精神衛生に悪そうなことに時間を費やすのは、人生の時間が限られていて、しかも残りがかなり少なくなってきた事実を思えば愚の骨頂ではないか。

 ハイクもtwitterもみんな止めてしまえよと思いながら2年くらい過ごしているだろうか。しかし現実世界ではほぼ他人とのつながりを持っていない私には、今更SNS全てを断絶して日々を送る勇気はとても出てこない。ぼっち耐性度はかなり高い方だけど、さすがにそれは寂しすぎる気がする。だけど悶々と居場所のない気分に苛まされたり、時に針のむしろに座っている気分になったりしながらも、たまに起こる幸せを待ち焦がれていることにいい加減疲れてしまった。
 まったく堂々巡りだね。結局は強い心と勇気だよ。踏み出す勇気。現状を捨てる勇気。ぬるま湯から抜け出す勇気。あるいは孤独の海に少しも動じない強さ。
 
 とても難しい。

 考えても結論は出ないし勇気も出ないし、だからそんな面倒な考え事から逃げ出してドールさんと酒を飲む。

雨の夜に

風を切るように心が弾んだあとは
きっと転がりすぎて怪我をして
痛みに耐えながら決意する
 
低温で低空飛行で進んでいこう
凍りついた動かぬ心で
 
だからお願い闇よ雨よ
一足ごとに冷やして私を冷やして
二度と弾めぬよう温まれぬよう

往きて君を

遠い遠い春の夜に
闇に向かって踵を返した。

終わったのだ。
星を見上げ潔く忘れよう。

足取り軽く
果てない闇へ踏み出して。
 
十年歩き、二十年歩き、
三十年歩いたよ。

夢に惑い闇と馴れ合い
幾星霜。
 
静か。今は静か。
思い出も現実も今やかすか。

闇も光も空も大地も、
今はセピア。

なのに君はいるんだね。
記憶の底の春の夜に。

往きて君を

潔く、なれなかった。

isolation

孤立無援になった思い出はね
記念になるものなんて何一つ残さず
ただ頭の中の引き出しに仕舞い込み
あぁそこに入っているよねと
引き出しを開けず思うだけにしとこうね

 

islasion

確かに存在した、あの日。あの日。

帰冬

暗く寒々とした空を待ちわびて
吹きすさぶ風になりたくて
悲しいほどたくさん天を仰いだ
 
イルミネーションの輝きが凍り付く
だからほんのひととき生き返ろう
君と過ごした冬を記念するために
 
風よアスファルトの熱を奪うがいい
冬の命を守っておくれ
春がわたしを溶かすまで
 
光に沈み師走は更けぬ

光に沈み師走は更けぬ