フローズン・ヨーグルトでご機嫌

 カップケーキにドーナッツ,エクレア,そしてフローズン・ヨーグルト。お次はジンジャー・ブレッドにハニカムで,やがてはアイスクリーム,それからサンドイッチ。
 如何にも美味しそうでたまらない。

 そろそろ機が熟したと判断し,年始に取り寄せたのはフローズン・ヨーグルトのひと,日本通信のIDEOSちゃん。Android 2.2 で動くSIMフリーのスマートフォンだ。本体買い切りで契約不要,低価格。海外で現地SIMを入れて即使うこともできるし,モバイルWiFiルーターになるから出先でPCをネットに繋げてもくれる。少し前まではSIMロックフリーなんて夢だった日本のユーザにとって,夢のような素晴らしいガジェットだ。
 長年docomoの携帯を使っていた人たちが次々とiPhoneに移ってゆくのを横目で見ながら耐えて耐えて待ってきた。いよいよその我慢が実を結ぶときがきたのだと,ワクワクしながら箱を開けた。

 そう,iPhoneは決して悪くない,いや,それどころか素晴らしい製品だと思う。

 ちょっとアンチ・アップルな私だが,ジョブズのキーノートは必ずウェブで見ているし,彼が初めてiPhoneを紹介した夜は,新しい時代の到来に興奮で寝られなくなったものだ。だが,iPodを自分で買ったことは終ぞない(頂き物を使っている(^^;)。アップルの製品は,コンセプトがいいしデザインもクール。しかし,アップルの意図するままに使っていれば快適だが,その掌から出られない窮屈さがある。私はそれが嫌いなのだ。
 アメリカやイギリスへ行けば一般人が普通に持ち歩いているブラックベリーは,日本では完全にビジネス向けだし,個人が持ち歩くスマートフォンは,iPhoneを拒否する限り今まで遠いものだった。しかし,2011年はアンドロイド端末が夢を近付けてくれる年になるだろう。

IDEOS と ドロイド君

 この小さなIDEOS君,勿論モバイルSuica は使えないし,カメラは解像度が悪くバーコードも読んでくれない。ガラケーから完全に乗り換えるには少しばかり不便が残るが,電話機ではなくモバイルウェブツールが欲しい私にとって,ほぼ用途を満たしたと言える。しばらくこの子と遊んでいれば,ジンジャー・ブレッドが焼ける頃にはアンドロイドとかなり仲良くなれていることだろう。

 そんなわけで,最近はアンドロイドな日々を楽しんでいる。今後の更なるアプリ開発が楽しみでならない。

 ところで,冒頭で並べた美味しそうな名前は,みんなアンドロイドのバージョンコード名だ。

Android ver. code name
1.5 Cupcake
1.6 Donut
2.0 / 2.1 Eclair
2.2 Froyo
2.3 Gingerbread
3.0 Honeycomb
next Ice Cream / Sandwich

 「froyo」は「frozen yoghurt」の略だが,日本人にはちょっと「?」。ジンジャーブレッドも米国では非常にメジャーな菓子だけど日本人には馴染みが薄い。最近アンドロイドづいていることもあって何となく食べてみたくなっている。

ひとりだね

  想いなんて気持ちなんて
  伝わらない伝わらないよ

  でもね
  本当に伝わった方がいい?

  もしかして
  伝わらないくらいで丁度いい?

月よ月

猫も杓子も行かなくてよろしい

 大卒の就職内定率が68.8%だとかでニュースになっていた。
 50社も回ったが内定をもらえないという学生のインタビューや就職カウンセリングの様子などが放映されていたが,随分一面的な報道だと思った。

 「以前と比べて就職内定率がどうのこうの」という切り口がそもそも疑問。
 何故なら,最近って昔に比べたら猫も杓子も大学に行くではないか。第二次ベビーブームで増やした定員が大学修学年代の人数に応じてきちんと縮小されないままなのだから。

 文部科学省のウェブサイトの「高等学校卒業者の進路の推移」によると,昭和60年(1985年)の高校卒業者数は1,373,713人,そのうち大学等進学者は30.5%。平成17年(2005年)の高校卒業者数は1,202,738人,そのうち大学等進学者は47.3%。「以前と比べて」と言うならば,まず高卒後に進学する人が多すぎなのだ。大学というのが何をする場所なのかを考えれば,高卒人口の半分もの人が大学教育を受けるにたる器を備えているとは考えにくい。就職内定が3人に2人なら,3人に1人は大学に進学すべき人材ではなかったのではないか。

 1,373,713人(1985年高校卒業者数)の30.5%は418,982人,1,202,738人(2005年高校卒業者数)の47.3%は568,895人。568,895人のうち就職内定をもらえた68.8%は人数にすると391,399人。1985年大学入学者の就職内定率だって100%ではなかっただろうから,大雑把に考えて,日本社会で必要とされる新人ホワイトカラーの人数はだいたい40万人程度ということではないか。
 もちろん高卒後の進学といっても専門学校や短期大学など色々あろう。社会情勢も異なる。非常に乱暴な計算であることは重々承知しているが,それでもこの計算に一片の真理は含まれているだろう。

 もし私が企業の人事担当者なら50社も回って採用されなかった学生を採用する可能性はおそらくかなり低いだろうし,カウンセラーに手取り足取り就職活動を教えて貰っている学生など採用したくない。彼らは大学で一体何をしていたのかと訝しむばかりだ。大学で学んだ学問そのものは時間が経てば役に立たなくなるかもしれないが,自ら行動するために自分で調べ手法を探し出す能力こそが大学で培われるべきものではないのか。

 もちろん,こうなった責任は社会を築き上げてきた大人の方にある。上っ面だけ報道し表面的なことばかりを問題視する幼稚なやり方には,そろそろいい加減,疑問を呈し終止符を打ちたいものだ。

 それにしても,そんなに就職にあぶれている学生がいるというのに移民を受け入れることには疑問を感じないのだろうか,民主党支持者の方々?

合格祈願

群れるのは苦手

 子供の頃から今に至るまで,女性が苦手だ。いや,これはちょっと語弊があるか。一般的に女性の特質と言われる部分に私と相容れないものが多い。
 学校時代など,必ず決まった相手と一緒にトイレに行き教室を移動し下校するようなことはとてもできず,いつも一人で行動していた。かといって当時はそれほど強くなかったので,いつも一人でいるばかりに「変わり者」という冷たい視線を感じることも辛かった。どちらにしろ針のむしろ,生きていることが酷く不幸で,変わり者の自分を呪ったものだった。
 それからかなりの時間が経って年を取ったから,その時間だけ強くなった。今では仲間はずれなんて辛いと思わないが,誘いを断るのは相変わらず辛いし,かといって女性の集まりの中にいても何をしたらよいか分からず話題にも興味が持てないことが多く,ひどく居心地が悪い。

 しかし,世の女性は「女ばかり」で群れるのが好きらしい。
 「ガールズトーク」なんて言葉があるし,昨今は「女子会」なるものが盛んらしいが,何がそんなに良いのだろう? 女性同士ならではの気楽さがあるらしいのだが,女性が3人以上集まると,私は大抵の場合ダメだ。居心地悪いし,何だか興味が持てない話が多くて退屈で,ひたすら異分子の自分を感じながら時間をやり過ごすことになる。早く一人でどこかへ行きたくなって,時計ばかり見てしまう。
 別に私は人間嫌いではないのだ。人と話すのは好き。魅力を感じる人と一対一で話すのなら楽しいと思う。でも集まるのはダメ,群れるのは無理だ。
 女性ばかりで集まって世間話をするのが楽しい人たちが集まるのは文句ないが,女性である限りそういう集まりと完全に無縁でいられないのが世の中というもの。お願いだから私は呼ばないでと思うが,呼ばないのは悪いと思うのが女性なのだろう,たまたま呼ぶべきカテゴリーに含まれて呼ばれてしまう時など,困り果てる。断るのは心苦しいし苦労するが,そんな集まりは私にとって苦痛でしかない。

 以前,1週間の予定である講習会に参加したとき,私は昼休みにそれとは別の通信教育の勉強をする予定で,時間の使い方をきっちり決めていた。昼休みは一人で急いで食事を済ませ勉強にかかる予定だったのに,「一人で食事させては可哀相」と思ったらしき女性グループに声をかけられ,彼女らの善意故に断るに断れず,勉強に割くべき時間が興味のないお喋りに相づちをうつだけの時間に取って代わり,勉強のスケジュールに痛く支障を来した。善意は理解できるが,本当に放っておいて欲しかった。そんなときでも,彼女らの話を楽しいと思うことができれば気も紛れるのだが,如何せん,私には少しも興味が持てないことばかり。故にその時間は我慢大会と相成った。

 ガールズトーク(大人の女性同士の会話がどうして”ガールズ”トークなのか違和感で仕方がないが)に参加するより,私には勉強の方が比較にならないほど楽しいのだということをイヤと言うほど思い知って,その日以降,夏の暑い盛り,私は36℃を越える炎天下に駐車した自分の車の中で食事をし,そこで勉強をしてお昼を過ごした。車の中は40℃を越えているから本当に暑くて体力的にも参ったが,時間が勿体ないと悶々としながら興味のない話題に相づちを打って過ごすより,遙かに気楽で幸せだった。そんな私はたぶん変わっているのだろうが,物心がついた昔から,これが私なのだ。

 思えば「女性は電話が好き(長電話)」とか「女性は買い物が好き」に始まって,「バージンロードは女性の憧れ」なんてものに至るまで,とかく「女性は」と言われるものには不得意なものが多かった。世の中の「女性は」が偏った見解であることには違いないと思うが,傾向が皆無とも言えないだろう。そういうものに興味が持てない私に「女子会」だのが魅力的に思えないのは当然のことなのかも知れない。

 性別はどうでも良い。年齢もどうでもよい。話して楽しい人と話したい。
 例え性別が異なり年齢も離れていようとも,感性が共鳴する言葉を話す人と会話するのが楽しいし,話したいと思う時に話すのが楽しい。
 そして,好きな人と言葉を交わすのに実際に会ったり集まったりすることは,私にとって必須ではない。チャットとかメールとか,好きなときに好きな人と話せるツールが昨今の世の中には目白押しなのだ。私のような性格の人間にはあつらえたような時代の贈り物だと思う。
 お酒だって,高い飲み会代を払って煙草の煙に眉をひそめながらどこかの店で飲むよりも,自宅で寛いだ服装で,時間を気にせずPCを前に飲むのが好き。そしてtwitterなんかでたまたま会えた好きな人と乾杯したり話したりする。至福なひとときだ。

 たぶん,こんな文章を最後まで読んで下さるあなたは,twitterで飲み明かしたい相手なのかも? いつか偶然出会ったら,どうぞ宜しく,ね。

エリーさんの孤独

わたしは夢 (6)

  あなたはいた
  そこにいた
  確かにいた

  十年は風
  二十年は空
  五十年は幻で

  百年は夢
  そして今は夢
  今はもう夢

あの日へ続け