普通に美味しく食べようよ

 昨日のこと,京都で湯豆腐の大食い大会が行われたというニュースを見かけた。
 「大食い」とか「早食い」などと聞く度いつも思う。普通に美味しく食べればいいのに,と。

 いや,何を楽しもうと「人の勝手」なのかもしれない。私は「世の中に飢えている人もいるのに」などと文句をつけるほどの人道主義者?でもない。が,単純に疑問に思う。何故食べる量や速度を競わねばならないのだろう。沢山食べられるのが偉いことだとは思えないし,身体に良いことだとも思えない。それなのに? そういう大会で人々がこぞってむさぼり食っている映像などを見ると私は本当に胸が悪くなって吐き気がする。そして,大食いされている食物も,その材料も,みんな可哀相に思えてむしょうに悲しくなる。

 食べることは,他の生命をいただいて自分の中に取り込むこと。食べるという行為は,自分の一部になってくれるものたちとの最後の歓談のひとときだ。
 「大食い大会」なるものには食されるものたちへの愛も感謝も尊厳も見あたらない気がして好きになれない。できればそんな大会無くなればいいのにと思うが,こういうのが好きな人って多そうだし,人に食欲がある限り無くならないのだろう。せめて「ほのぼのとした話題」的な扱いでゴールデンタイムのニュースに流すようなことは止めて欲しいと思う。

ありがとう

フローズン・ヨーグルトでご機嫌

 カップケーキにドーナッツ,エクレア,そしてフローズン・ヨーグルト。お次はジンジャー・ブレッドにハニカムで,やがてはアイスクリーム,それからサンドイッチ。
 如何にも美味しそうでたまらない。

 そろそろ機が熟したと判断し,年始に取り寄せたのはフローズン・ヨーグルトのひと,日本通信のIDEOSちゃん。Android 2.2 で動くSIMフリーのスマートフォンだ。本体買い切りで契約不要,低価格。海外で現地SIMを入れて即使うこともできるし,モバイルWiFiルーターになるから出先でPCをネットに繋げてもくれる。少し前まではSIMロックフリーなんて夢だった日本のユーザにとって,夢のような素晴らしいガジェットだ。
 長年docomoの携帯を使っていた人たちが次々とiPhoneに移ってゆくのを横目で見ながら耐えて耐えて待ってきた。いよいよその我慢が実を結ぶときがきたのだと,ワクワクしながら箱を開けた。

 そう,iPhoneは決して悪くない,いや,それどころか素晴らしい製品だと思う。

 ちょっとアンチ・アップルな私だが,ジョブズのキーノートは必ずウェブで見ているし,彼が初めてiPhoneを紹介した夜は,新しい時代の到来に興奮で寝られなくなったものだ。だが,iPodを自分で買ったことは終ぞない(頂き物を使っている(^^;)。アップルの製品は,コンセプトがいいしデザインもクール。しかし,アップルの意図するままに使っていれば快適だが,その掌から出られない窮屈さがある。私はそれが嫌いなのだ。
 アメリカやイギリスへ行けば一般人が普通に持ち歩いているブラックベリーは,日本では完全にビジネス向けだし,個人が持ち歩くスマートフォンは,iPhoneを拒否する限り今まで遠いものだった。しかし,2011年はアンドロイド端末が夢を近付けてくれる年になるだろう。

IDEOS と ドロイド君

 この小さなIDEOS君,勿論モバイルSuica は使えないし,カメラは解像度が悪くバーコードも読んでくれない。ガラケーから完全に乗り換えるには少しばかり不便が残るが,電話機ではなくモバイルウェブツールが欲しい私にとって,ほぼ用途を満たしたと言える。しばらくこの子と遊んでいれば,ジンジャー・ブレッドが焼ける頃にはアンドロイドとかなり仲良くなれていることだろう。

 そんなわけで,最近はアンドロイドな日々を楽しんでいる。今後の更なるアプリ開発が楽しみでならない。

 ところで,冒頭で並べた美味しそうな名前は,みんなアンドロイドのバージョンコード名だ。

Android ver. code name
1.5 Cupcake
1.6 Donut
2.0 / 2.1 Eclair
2.2 Froyo
2.3 Gingerbread
3.0 Honeycomb
next Ice Cream / Sandwich

 「froyo」は「frozen yoghurt」の略だが,日本人にはちょっと「?」。ジンジャーブレッドも米国では非常にメジャーな菓子だけど日本人には馴染みが薄い。最近アンドロイドづいていることもあって何となく食べてみたくなっている。

麒麟の頃

  十月と共に現れ、十月と共に去ってゆく。
  嫌われ疎まれそれでも荒れ地を占拠。
  大地を黄色く染めるセイタカアワダチソウ。
  たおやかな黄金の乙女※、
  アキノキリンソウなど彼らの敵ではない。
  だけどその旺盛さが悲しい。
  広がって広がって、そしていつか帰れると?
  海の向こうの北米へ?
  十月の風に揺れる彼らがいとおしい。

  そして昔読んだコミックを思い出す。
  清原なつの 『胸さわぎの草むら』
  もう一度読みたい。読みたいな。

背高秋の麒麟草


 アキノキリンソウは、別名アワダチソウ。セイタカアワダチソウの名の源となった植物だ。その学名 “Solidago virga-aurea” の種小名に含まれる “virga” は、おとめ座の英名 “Virgo” や処女 “virgine” などと同じ派生。”aurea” は金の元素記号が “Au” であることを思い出せばわかるように、”黄金”を意味している。つまりアキノキリンソウは”黄金の乙女”というロマンティックな学名を持っているのだ。ついでに言うと、属名の “Solidago” は “傷を完全に治す”とか”よい薬である” という意味。キク科には薬草が多く、アキノキリンソウも全草にサポニンを含み、利尿や胃の薬などに用いられる。
 一方セイタカアワダチソウはセイタカアキノキリンソウと呼ばれることもあり、正にアキノキリンソウの背高版で、学名 “Solidago altissima” からもそれが窺える。属名 “Solidago” はアキノキリンソウと共通しており、種小名の “altissima” は、”最も高い” という意味だ。キリンの名はセイタカアワダチソウにこそ相応しいのかもしれない。

都会の星の煌めきに

暮れゆく街をただひとり
当て処なく当て所なく

ネオンの星の煌めきが
音になって降りしきる

星よ私をうずめておくれ
彷徨う心を光の渦へ

ラフマニノフ
ピアノ協奏曲第3番ニ短調作品30

都会の星を振り仰ぐ

懐メロつれづれ

真っ赤なロード・スターの時代
 コツコツと,飽きもせず音楽環境刷新中。近所のショップに限界を感じ,最近は少し遠くまで足を伸ばし始めた。おそらく簡単に集められると思っていたのに意外に集まらないのが,松田聖子の初期のアルバムだ。妹が彼女のファンだったので,必然的に私もテープを何本も持つことになり,よく聞いた。彼女の曲中に住むのは,いつも私の対極のような女の子で,私には考えられないようなものに憧れ,呟き,主張する。無い物ねだりの物珍しさ? 時に自分に疲れると,この歌の子のように生きられたらと思いながら聞いたものだった。一番のお気に入りは,大ヒット曲〈Rock’n Rouge〉を収録した9thアルバム《Tinker Bell》。当時の何もかもを思い出せそうな1枚だ。

幻の名盤
 ”アイドル”というと,「歌は下手,ルックスがとりえ」のようなイメージが浮かんでしまうが,甘く華やかな声を存分に活かした聖子ちゃんは天性の歌姫だろう。昔のアイドル,みんなそれなりに歌が上手だったし,よく聞いた。明菜もキョンキョンもピンク・レディも。そして,明けても暮れても聞いていたのがキャンディーズ。春風のようなハーモニーを折りなす眩しいお姉さんたち,だった。手元には,頑張って買ったLPが2枚。2006年3月21日に亡くなった宮川泰氏の,恋のバカンス,ふりむかないで,愛のフィナーレ等々をカバーする《キャンディ・レーベル》に,アメリカ・オールディーズを取り入れた《なみだの季節》。どちらも私の名盤なのだが,LPを聞く手立てがない今となっては幻だ。

乙女座宮
 中森明菜さんといえば,ごく初期の楽曲〈銀河伝説〉で,獅子座の占いを読んで戸惑う乙女座の女の子が描かれていた。もちろん思い出すのは山口百恵〈乙女座宮〉。明菜はポスト百恵を意識してプロデュースされたと聞いたことがあるが,本当? まぁそれはともかく,女の子の象徴は乙女座で,男の子の象徴は獅子座なのだろうかと,〈乙女座宮〉の時代から疑問だった。乙女座ではない私としては何となく聞き捨てならない(?)し,隣の星座同士ってそもそも相性いまいちだ。おかげで,せっかく素敵な曲名なのに感情移入できなかった。あと,星座名はひらがなとカタカナなのにと表記も気になったのだが,占いでは違うのね? いや,占いなら処女宮と獅子宮の筈?

今は昔の星浪漫
 ま,詩に正確な専門用語を求めるなんて無粋というものだ。ウルトラマンは散光星雲M78出身でかまわないし,この場合,おとめ座でも処女宮でもない乙女座宮こそ夢を育む表現なのだろう。陰イオンでもアニオンでもないマイナスイオン(あり得ね!)とはわけが違う。チェックを入れて文句をつけつつ,ひとたび「星」と聞けば反応せずにいられないのが子供の頃の私だった。乙女座宮はどちらにしろ好みの歌ではなかったが,ラジオでかかれば聞かないといけないような気がしていたし,八神純子〈ポーラー・スター〉は名曲だと思っていた。中原理恵とキャンディーズが歌った〈銀河系まで飛んでいけ〉という曲も,「地球は銀河系を飛んでいますが?」とか言いつつ実は気に入っていた。

空へ帰ろう
 星が出てくる歌。岩崎宏美さんも,明菜ちゃんとは別物の〈銀河伝説〉を歌っていたっけ。映画『ヤマトよ永遠に』の主題歌で,星の輝きのようなイントロが印象的。彼女の透き通った声が宇宙空間の広がりを想わせた。だが,私のベストは,たぶん久保田早紀〈星空の少年〉。当時の私が星空を見上げるときの気持ちをそのまま歌ったような曲だったし,これが収録された《夢がたり》は秀作揃いで,テープが伸びるまで聞き込んだ。LPで発売されたアルバムがCDで復刻し始めると,最初に私はこれを求めた。どこまでも遠い,遠い空,雲に星。彼方を見つめ続ける心を旅へと誘う,色褪せない1枚。いくら年を重ねても,魂は彷徨い,一歩を踏み出し続けるのだと思う1枚だ。

(2006-03-26~30)

空どこまでも