正統論

 "I have long wanted to change my life, but I don’t know how to do it."
 "You must take some action if you want
to."

 たまたま見かけた例文。そう、たかが例文なのだが、むかついてしまった。こういう愚にもつかない説教をわかったように垂れるひとって嫌い。
 "must take some action" なんて、そんなこと言われずとも分かっているよ、"I don’t know how to do"
と言ってる本人は。"must" なのに、そのすべきことがわからない、足がかりも掴めない、だから立ちすくむ。"long"…そう言うほど長い間考え続けている人に、こんなお手本の様な助言は意味がない。黙っている方がマシだろう。
 たかが例文? いや、実際にいるのです、こういうこと言う人。言われるもの。
 放っておいてくれや。君の意見なぞ訊いていない。

ヒゴタイ

自立至上主義

 やたら「自立自立」とうるさい人がいる。
 そう言う人って、それが唯一のあるべき正しい生き方だと思っているらしく、自立して当たり前という世論が形成されていないと言っては非難し、専業主婦を指しては「戦前か」と見下す。どうにかならないものかと思う。

 そもそも自立って何?
 こういうことを声高に叫ぶのは大抵女性なのだが、彼女らの言う自立とは大抵経済的なものを指している。自分で稼いだお金で生活しさえすれば「自立」なのか? 何だか随分薄っぺらい。

 そうやって価値観を人に押し付けて悦に入ってるような人を私は素敵と思わないし、そんな人が精神的に自立しているとも思わない。
 (経済的)自立していなくても生きていけるのが日本社会の特色?
 えぇそうですとも、そんなに悪い特色ですか?
 豊かで懐が深い社会だから可能なのだし、そんな社会だから日本はサブカルチャーの宝庫になり得るのだ。

 一度しかない人生、家族で助け合って仲良く楽しく暮らすのが一番だと私は思っている。
 別に出世して世間一般に偉いと思われなくたっていい。大切なのはそんな評判ではなく毎日の生活が幸せであるということ。忙しくしてイライラしながら暮らすのでは楽しくないし、必要以上のお金を儲けるために働いても意味がない。
 外で働く人=偉い、専業主婦=怠け者のように扱う社会になってしまったのは何故だろう。どこかおかしい。主婦が明るく楽しく過ごしていてこそ、家庭は明るくなり社会は明るくなる。

 そもそも男性と女性の生き方が違うのがそんなに悪いことなのだろうか。違っていても良いではないか。いや、むしろ違って当然と思うのだが?
 自立至上主義者と話すのは疲れる。できれば私の近くに来ないで欲しい。

お喋りツバメ

女性は他人に優しくない

 我が家の周辺は観光地なので、土日は勿論、平日も地図とカメラを持った観光客がよく歩いている。住宅地で狭い道ばかりなので自宅から車で出かけようとすると、狭い道をぞろぞろ歩く観光客の間を通らねばならず非常にやっかいなのだが、こういうとき、こちらを気遣ってくれるのは男性に多く、こちらの存在に気付きもせず、下手すると気づいても知ったことかと我が道をゆくのはほぼ100%女性。女性は大抵数人のグループで歩いているので、この場合、大変始末が悪い。同じ女性として非常に遺憾に思うわけだが、似たような場面に出くわす機会は多い。

 以前住んでいた街の電車では車内での携帯電話の使用が禁止だったが、アナウンスを無視して携帯電話に興じているのは7割が女性だった。スーパーの狭い通路で周囲を顧みず立ち話したり、エスカレーターの乗り降り場所で後ろの人の迷惑も顧みずいきなり立ち往生するのも間違いなく女性。混雑した電車で前の席が空いても座ろうとしなかったり、逆に混雑しているのに横の席にまで荷物を置いて平然としているのも、ほぼ100%が女性。公共の場で大きな声で会話しているのも女性に多いし、兎にも角にも、居合わせた知らない人への気配りができない人って年代に限らず女性。

 女性にはどうしてこう周囲が見えない人が多いのだろう?
 おそらく同じことを男性がしたら、社会的にすごく攻撃されるのではないか? だから男性は幼い頃から周囲に気を配る習慣を身につけて育つ。結局のところ、女性は社会から甘やかされ、意識が低く、我が儘になっているのではないか。
 女性に生まれたからには私もきっと甘やかされていて気配りが足りない部分を持っているに違いない。気をつけなければならないと思う。

春でした

時代のメロディ Lili Marleen

 図書室や書店でひたすら本の背表紙を眺めて過ごした中高生時代。読むに至らなかったのに記憶に残る印象的な書名が幾つかあった。『リリー・マルレーンを聴いたことがありますか』はその一つ。
 リリー・マルレーンとは何なのか?
 ”聴く”ことが可能な何かだろうということしか分からなかった私は、その本に敢えて手を伸ばすことができなかったのだった。そうしていつか、そんなことも忘れて大人になった。
 ところが数年前、ラジオドイツ語講座で思いがけずリリー・マルレーンに出会った。リリー・マルレーンとは歌だった。第二次大戦下、ドイツ兵の士気を高めるためにラジオで流された恋人との別れの歌だったのだ。ラジオ講座で聞いたのは、まさに、最初にドイツ兵士に向けてドイツ占領下のベオグラードのラジオ局から流された、そのときの録音だった。
 戦火の中、リリー・マルレーンは連合国兵士の間にも広がってゆき、やがては敵味方を越えて歌い継がれる伝説の歌になってゆく。ラジオ講座で、語学というより人の世を学んでいる気がしたものだった。

 その後、1981年の西ドイツ映画「リリー・マルレーン」を見た。
 この映画は、リリー・マルレーンを歌った歌手ラーレ・アンデルセンの自伝を基に作られた映画だそうだが、あまりにも劇的で、平和にのほほんと暮らす私は息をのむばかり。
 映画の中で何回も何回も繰り返し流れるリリー・マルレーンが、戦争という見知らぬ社会現象への覗き穴になっていて、遠い国の遠い時代と映画を結びつけているような気がした。

変わらない