アキバ変態

 …という表題に惹かれて『週刊ダイヤモンド』(2010/09/25)という雑誌を買ってきた。
 そりゃアキバは変態でしょ、メイドさんもコスプレも普通だし、オタクいっぱいいるし、男の娘(美しい)やバニーおっさん(怖いもの見たさって感じ)なんかも闊歩してるし、などと思うわけだが、もちろんそんな話ではなく街の変遷について興味深い記事が載っていたのだ。
 9月に入って新しい駅ビルが姿を現し、入れ替わりにショックなニュースを2件耳にした。

 ひとつはラジオ会館の閉鎖&取り壊し。
 再開発の対象になっているとは聞いていたが、本当に本当に潰してしまうのか?日本のPC発祥の地だというのに?
 アキバへ行けばラジ館でいくらでも時間が潰せる私は動揺を禁じ得無い。何故?何故?アキバの象徴のようなビルなのに?耐震は工事で何とかならないのか? だが残念なことに、本当にあと一年も待たずラジ館は取り壊されてしまうのだ。
 私が大好きな中の店たちはどうなってしまうのだろう。

世界の ラジオ会館 秋葉原

 もう一つは、末広町のAntecショールーム閉鎖。
 2007年8月にオープンして未だ3年あまりなのだが、この10月11日に閉鎖されてしまうとのこと。7月にGIGABYTEショールームがすぐ近くにオープンし、我が家のPCはAntecの電源にGIGABYTEのマザーを使っているから何となく嬉しくて、アンテッ子ちゃんとギガバイ子ちゃんの共演だわと思っていたのに。末広町近辺は自作PCパーツエリアになって発展していかないかなぁと楽しみにしていたのに。このショールームで初めてAntecのPCケースを見て次のケースの候補にしようと思っていたのに。

アンテッ子ちゃん

 まぁこれだけといえばこれだけなのだが、2件とも私にはとてもショックだったのだった。秋葉原デパートに取って代わる新しい駅ビル、消えてゆく専門店。
 どうなってゆくのかな、私の大好きな秋葉原。でも秋葉原だもんね、信じていいよね、間違っても普通のお洒落な街になったりしないよね…。

けいおんとか荒川とか徒然つれづれ

 ようやく録画してあった『けいおん!』第2期を番外編まで見終わった。

 もちろん面白いと思う、思うよ。楽しんだし、だから録画して最後まで見たわけ。
 だが、だが…正直言って何でこんなに大人気なのか、私には理解できなかった。テーマ曲は数々のJポップを抑えてオリコンデイリー1位を獲得するわ、劇場化決定するわ、楽器が売れまくるわ、ほんと数え上げればキリがない人気ぶり。アキバへいけば『リリカルなのは』すっげー人気だなぁと思うが、なのはは何となくオタクの間で人気、だけど『けいおん!』はオタクじゃない人にまで大人気って感じ。まったーりした女子高校生の日常といえば『「らき☆すた』を思い浮かべるが、あれ以上?

 いや、ほんと『「けいおん!』が悪いと言ってるわけではない、でも、あえてどちらが好きかと聞かれたら私は迷うことなく『らき☆すた』とか『なのは』だし、テーマ曲だったら、同じ京アニの『涼宮ハルヒの憂鬱』のオープニングとエンディングは非常に印象的で頭の中がこれに染まってしまうほどだったが、『けいおん!』はそこまで心にぐっとこなかった。まぁたまたま感性がぴったしじゃなかっただけのことだが、ほんとここまで大人気な理由が私にはわからなかったなぁと。
 でもあずにゃん飾って毎日愛でているので、『けいおん!』ファンの皆様怒らないでね。あずにゃんかわいいよあずにゃん。そうか、私はどうも唯が好きになれなかったので、『けいおん!』に引き込まれなかったのかな。

あずにゃん

 印象的といえば、ここ最近見た中では『荒川アンダー ザ ブリッジ』が最高、『さよなら絶望先生』以来の気になる作品だったかもしれない。何もかもめちゃくちゃだしキモいキャラ?は出てくるし、もう何なのよと思いつつ目が離せない、病みつきになってしまった。
 テーマ曲もすごい。《ヴィーナスとジーザス》って、この二つの名前を並列に歌いあげるなぞ、時と場所によっては原理主義者に命を狙われそうな気がしてしまうのだが、さすが自由の国ニッポンだ。第2期制作が決定したようなので、このアニメはかなり人気だったのだろう。同じく同時期にかなり人気に見えた『WORKING!!』は第2期決定してないしね。

 10月開始のアニメがぼちぼち始まっているが、兎にも角にもトルネで予約者数が多いのを尽く予約。どれだけ見る時間があるかは不明だが、とりあえず『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』は見なくちゃね?

 今月は予約してある『アベノ橋魔法☆商店街 Blu-rayBOX』が届くし楽しみなのだ。今となっては古いアニメになっちゃったけど、これは楽しいよ。あるみちゃんの大阪弁が小気味良いし、ハチャメチャだけど意味があるし、ちょっと胸がキュンとしたり、懐かしくなる風景なんかも出てくるし。私の中では『攻殻機動隊』シリーズに並ぶ名作。
 ファンが多いジプリのアニメはどれもこれも説教臭い気がしていまいち苦手だが、GAINAX関係はだいたいけっこう好き。『王立宇宙軍〜オネアミスの翼』もいいよ、必ず『ライトスタッフ』が見たくなっちゃって時間が要って困るのだけどね。
 あぁ色々見たいなぁ。時間がないなぁ。時間欲しいなぁ。

オカメインコと暮らして

 今日はうちのインコの誕生日。7歳になる。
 我が家に来たときは,まだお湯で濡らした差し餌を食べていた。お互い慣れずに不安だったのか,最初の頃はちょっと買い物で留守をするだけで,家に帰ると「フッ!」と言って怒られた。どうしようもない甘えん坊で,十分に大きくなってもなかなか自分で食事をしようとせず,いくら空腹でも食べさせてもらうまでハンガーストライキをし,「食べさせろ!」と目を三角にして怒るし,もう大変。こんな面倒な子と付き合えるのだろうかと神経をすり減らす日々だった。初めて自分で水を飲んでくれたりしたときは,どれほど嬉しかったことか。

 3ヶ月くらい経って,ようやく少し「うちの子」らしくなってきて,お互い慣れてきた感じ。
 雛の頃は体力もなく,外でさんざん遊びまわってそのまま眠ってしまうこともあったが,さすが子供というか,翼がだらりと落ちている(↓)。
遊び疲れた雛

 成鳥になってからは,こんなあられもない姿をさらすことはなくなった。

 実に甘えっ子だが,やんちゃで根明で,音楽が好きで,常に人に反応して返事してくれるし,この子がいると飽きることない。

 ↓ モリゾー気に食わねぇ!

モリゾー気にくわねぇ!

↓ 君,誰!?

君、誰!?

 

↓ 水草美味しそう…。

水草美味しそう...。

 7年,さすがに随分色々な時を一処に過ごしてきた気がするが,昨年,一緒に飛行機に乗って長距離の引越しをして以来ますます家族っぽくなってきて,最近では電話で話すこともできる鳥。人が病気をして寝ていれば静かにしてくれるし,文句があったら叫ぶ。人が食事を始めれば,自分も一緒に食事を始める。これが家族でなくて何であろう?
 オカメインコは本当に賢く,期待すればするほど答えてくれるし,人間の言葉もかなり理解してくれている。「ハウス」と言えばケージに帰るし,「おトイレ」と言えば糞をする。でも,「可愛い」という単語が聞こえてくれば全部自分のことだと思って嬉しげにピヨピヨ言ったりするのだが(笑)。

 彼と暮らすようになって,今まで自分は鳥のことを実に知らなかったし,見くびっていたなとつくづく思う。

じゅのとわたし

 ブログはいつも試行錯誤だ。
 ここも、自ら納得できるスタイルがなかなか決まらない。もう何年も続けているブログでさえそうなのだから、始めてまだ数ヶ月のここで、そう簡単に決まる筈もないのだが。
 決まるまではコンテンツ以外の場所をいじることに時間がかかる。

 少し前にコメント欄を削除した。
 このブログを見る人なんていないだろうと思ってあまり考えもせずにデフォルトのまま設けていたコメント欄だったが、パブリックにしていればどなたかの目に触れるに決まっているし、ここのコンテンツが好きだと思って下さる方がいらしたら、その方々が見に来て下さることは吝かではない。

 ひとたびパブリックにした言葉はその時点で自分だけのものではなくなる。目にした方はご自分の思うがままに読んで解釈する権利があるし、そうしていただけるなら光栄だとも思っている。
 しかし、どなたかの解釈なり感想なりを目にすることが自分にとって果たして良いことなのかと疑問に感じたのだ。パブリックになった言葉は確かに自分だけのものではないが,自分だけの思い入れはある。私がその世界にいなければ生み出されないという種類の言葉たちだから、あまりにそれとかけ離れたコメントをいただいてしまうと、苦しくてもう何も書けなくなってしまう可能性があると思ったのだった。

 今日は「詩」カテゴリーを削除して、「つぶやき」に統一した。
 「詩」と呼んでも悪くはないのかもしれない。が、「じゅの」はどうだか知らないが、少なくとも「私」は詩人ではないし、ただ思い描く世界を文字にしているだけ。「詩」という単語を使ってしまうと、そのイメージがつきまとって雁字搦めにされてしまい苦しくなると危惧したから。
 そもそも、こんな詩まがいなものばかりを書くブログにするつもりはなかったのだ。もっと日常や社会における愚痴や考察などを人に遠慮せず好き勝手に書きたかったから作ったブログだった筈。

 今後の「じゅの」にどういった行動をとらせるかについても決めあぐねている。
 このブログにはこのブログの役割がある。私が持つ他の多くのブログとは全く異なる役割で、それ故ここをどう扱っていいのか確固たる方策が簡単には浮かばない。
 ここに書いていることは、私のことではない。
 勿論書いているのは私だから私の一部が含まれていることは確かだが、1μmを100mに拡大したようなものばかりだ。
 リアルの友人知人が見ると誤解されて面倒だと思い誰にも知らせず書いてきたが、別にリアルの知人であるか否かは問題ではなかったのかもしれない。ここを通じて「じゅの」を知って下さった方々にとって、私は「じゅの」でしかあり得ないし、それなのに、このブログから一歩外へ踏み出したら、私は「じゅの」に成り切ることはできない。こう書きながらも、これを書いている「私」は「じゅの」ではないし、「じゅの」ではない者がここへ書いて良いのだろうかという疑問を払拭することができない。
 「じゅの」はここから出てはいけなかったのかもしれない。出ていけば、「じゅの」と「私」の狭間で途方に暮れることになるのは必至だったのだ。
 なのに「私」は「人」が好きだから、ついつい「じゅの」が出て行くことを許してしまった。

 投げられた賽の行方と「じゅの」を眺め、「私」はただ訝しんでいる。

ガンダム立つ

8月前半のテレビは嫌い

 いや、テレビは常に嫌いだし、滅多に見ないのだが…。

 戦争には様々な側面がある。
 悲惨さだけを感情的にクローズアップするのはおかしいし、良からぬ意図を感じる。
 日本を「戦争を始める国」と呼んだり「間違った歴史」と言うのもおかしい。とても一方的かつ自虐的な見方だ。韓国を「植民地支配した」こともない。日韓併合と植民地支配は性質が異なる。

 そして、こういった反日的狂言をまき散らした後、テレビは8月15日が過ぎると見事に戦争について沈黙するのだ。

あかねぐも