十月。
川の土手や道端に繁茂しているセイタカアワダチソウが、ほんのり黄色く色づき始める。
この花は、まるで月が変わったのを知っているかのように、十月に入ったとたんに色づき始めるのだ。そうして十一月の霜の訪れと共に、冬枯れの様を呈していく。自分の時が終わったことを察したかのように色を失うのだ。
この十月だけに輝く花を、私は“十月の花”と呼んで愛でてきた。
セイタカアワダチソウ(背高泡立草)は、キク科の多年草。北アメリカ原産の帰化植物である。
よく見かけるが日本での歴史は意外に浅い。昭和以降になって観賞用として移入され、やがて今のように荒れ地に繁茂するようになったらしい。
日本原産の植物を追いやるようにして繁殖していくセイタカアワダチソウ生命力が、つつましさを美徳とする日本人によくない印象を与えたのだろうか。
一時期、セイタカアワダチソウは花粉症の元凶であるとか、根っこから毒物を出して他の植物を駆逐するだとか、まるで悪徳植物の代表格のように言われたこともあった。
私がこの花のことを知ったのも、丁度そんな時代のこと。
『りぼん』に掲載されていた清原なつのさんの漫画『胸さわぎの草むら』がきっかけだった。セイタカアワダチソウの精を象った小さな男の子が出てくるのだが、彼は、喘息の原因として疎まれる自分をとても悲しんでいた。
その物語があまりに切なかったから、私はセイタカアワダチソウを好きになろうと思ったのだった。これらの悪い噂、少なくとも喘息や花粉症で人間に危害を加えているという話が、どうやら濡れ衣だったとわかった時にはホッとしたものだ。
セイタカアワダチソウが根から毒物を出して繁殖していく話は本当だったようで、 周囲の植物の生長を抑制する化学物質を出している。こういう効果を「アレロパシー」と呼ぶが、セイタカアワダチソウは初めてアレロパシーが確認された日本の植物として知られている。
だが、こういった植物の場合、あまりに繁殖しすぎると自らの毒で自滅していくのだそうで、最近ではセイタカアワダチソウの繁殖の勢いも弱まっていると聞く。特に乾燥した土地ではセイタカアワダチソウはススキに弱く、どちらにしろ草原はやがて低木林へ移行する運命だ。
結局、自然界である一定の種だけが繁殖していくことはできないし、よい植物とか悪い植物とかいう捉え方には、あまり意味がないだろう。
捨てる神あれば拾う神ありと言うが、セイタカアワダチソウも嫌われているばかりではないらしい。花が少ないこの季節、養蜂家たちにはとても重宝されていると聞く。
日本原産にも同じ頃咲く黄色い花の存在が知られているが、こちらはアキノキリンソウ(秋のキリン草)。セイタカアワダチソウとは違ってなかなかたおやかな印象の雑草だ。
そのたおやかさは“Solidago virga-aurea”という学名にも反映している。種小名のうち“virga”は、乙女座の英名“Virgo”や処女“virgine”などと同じ派生で、“aurea”の方は、金の元素記号が“Au”であることを思い出せばわかるように、“黄金”を意味している。
つまりアキノキリンソウは“黄金の乙女”というロマンチックな学名を持っているのだ。
ついでに言うと、属名の“Solidago”は、“傷を完全に治す”とか“よい薬である”という意味である。キク科には薬草が多く、アキノキリンソウも全草にサポニンを含み、利尿や胃の薬などに用いられる。最近はセイタカアワダチソウもハーブティーや天ぷらなどに利用されるようになってきた。
ところで、アキノキリンソウは、別名アワダチソウという。
そう、実はアキノキリンソウはセイタカアワダチソウの名の源となった植物なのだ。
また、セイタカアワダチソウのことを、セイタカアキノキリンソウと呼ぶこともあり、要するに、アキノキリンソウの背高版が、セイタカアワダチソウということ。セイタカアワダチソウの学名からもそれが伺える。
セイタカアワダチソウの学名は“Solidago altissima”。属名“Solidago”はアキノキリンソウと共通しており、種小名の“altissima”は、“最も高い”という意味だ。
セイタカアキノキリンソウ。キリンのように首長の秋の黄色い花にはピッタリの名前ではないか。
高い個体では草丈が2m以上にもなるセイタカアワダチソウ。近くへ寄れば、秋の澄んだ青空を背景に花を見上げることになる。青空に映える金色と、そのたくましい生命力は、まるで十月の太陽だ。
けれど、こんなにあちらこちらに生い茂るセイタカアワダチソウでも、本当に日本に定着できるかどうかは、もっと時を重ねないとわからない。
秋風にさざめく彼らのつぶやきに耳を傾け、遙かな植物たちの歴史を想おう。 (Yuki Snowy)